中世末期から近世における鷹書と放鷹文化の“再創生”を解明する研究
Project/Area Number |
22K00323
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 02010:Japanese literature-related
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Research Institution | The University of Nagano |
Principal Investigator |
二本松 泰子 長野県立大学, グローバルマネジメント学部, 教授 (30449532)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2022)
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Budget Amount *help |
¥4,160,000 (Direct Cost: ¥3,200,000、Indirect Cost: ¥960,000)
Fiscal Year 2025: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2024: ¥910,000 (Direct Cost: ¥700,000、Indirect Cost: ¥210,000)
Fiscal Year 2023: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
Fiscal Year 2022: ¥1,040,000 (Direct Cost: ¥800,000、Indirect Cost: ¥240,000)
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Keywords | 鷹書 / 放鷹文化 / 祢津家 / 吉田流 / 『鷹鶻方』 / 吉田流の鷹術 / 『新増鷹鶻方』 / 朝鮮医学・薬学 |
Outline of Research at the Start |
中世末期に成立した吉田流の鷹術は、徳川吉宗の時代に重用されるようになる。それを契機として同流派の鷹匠たちは『新増鷹鶻方』の影響を受けたテキスト類を積極的に制作した。『新増鷹鶻方』は本来、朝鮮伝来の鷹書であったが、吉宗による医事・薬事政策のなかで医薬書としてクローズアップされたテキストである。本研究では、このようなテキストと連動する吉田流の鷹書類を介して、中世以来の“権威”として受け継がれてきた国風的な鷹書と放鷹文化が、近世中期に“学術”の一分野として“再創生”されていった経緯について明らかにすることを目的とする。
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、中世末期以降において鷹書と放鷹文化が再創生されてゆく経緯を体系的に明らかにすることを目的とする。その端緒として、本年度は、祢津家の鷹書と吉田流の鷹書についてそれぞれが変容した経緯を中心に研究を進めた。 まず、祢津家の鷹書については、同じ祢津一族に伝来したものでも、本家や分家によってその内容が異なることを明らかにした。すなわち、祢津家の本家は、松代藩に代々家老として仕えた一族である。それ以外にも祢津家には分家が複数存在し、同じ松代藩に仕えた一族以外にも、加賀藩や沼田藩に仕えた一族がいた。それらの家には鷹書や鷹術文書がそれぞれ伝来し、各家独自の内容となっている。それは鷹狩りに関する書物・文書というよりも、むしろ当家の格式や権威を主張するための家伝と言うべき側面の強いものであった。こういった家伝のような鷹書の言説が祢津家の本家・分家において伝来したため、結果として多種多様な“祢津家の鷹書”が成立し、それに伴うさまざまな放鷹文化が再創生されていったのである。このような本研究の成果については、単著『真田家の鷹狩り―鷹術の宗家、祢津家の血脈』(三弥井書店、2023年1月)にまとめて公表した。 次に、吉田流の鷹書については、徳川吉宗以前に流布した当流派の鷹書と吉宗以降のそれとを比較検討し、後者の叙述に吉宗が推進した朝鮮薬材調査の対象となった『鷹鶻方』(朝鮮の鷹書)による影響が強く窺えることを明らかにした。中でも薬事治療に関する言説については特筆すべき共通点が見い出せる。その成果の一部は「前近代における書物を介した人と動物の医療関係-鷹書に見える医薬治療の記述が有する意義をめぐって―」(「日本獣医史学雑誌」60号、2023年2月)において公表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、コロナ禍の影響で県外での調査を進めることができなかった。しかし、その分、県内の調査に注力することができたため、信州所縁の祢津一族に伝来した鷹書と鷹術文書に関する研究が予想以上に進展した。さらには、新出の吉田流の鷹書を偶然入手できたことから、当該流派の調査についても当初の予定以上に成果が出た。 なお、祢津家の鷹術と吉田流の鷹術は、中世以降の武家社会で重んじられ、隆盛したものである。このような当時を代表する鷹書と鷹術が変容してゆく経緯を検証することによって、中近世における放鷹文化の再創生の経緯を解明する有用な手がかりを得ることができた。このことから、おおむね順調に進展していると判断する。
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Strategy for Future Research Activity |
中近世の武家社会において、放鷹文化が最も大きく変容したのは、江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の時代である。吉宗は、鷹狩りを復興させた際に紀州藩から抜擢した吉田流の鷹匠たちを幕府に仕えさせた。それを契機として、従来あまり流布していなかった吉田流の鷹術が、一気に全国的に伝播することになった。このように近世中期以降の武家の鷹術は、吉田流の展開に伴って、新たな放鷹文化を構築するようになったのである。 ところで、吉宗は鷹狩り以外にも、流鏑馬と笠懸を復興している。これは吉宗が推進した武芸奨励策の一環によるものであるが、当時廃れてすでに実態のなかったこれらの武芸が再興されるときにも、やはり伝書(馬術書)が重要な役割を果たしていたことは注目に値する。すなわち、吉宗以前の時代では、鷹狩り・流鏑馬・笠懸といった伝統技芸は、まずその実技が先に存在し、それに付随して伝書が成立するという順序が定番であったのに対して、吉宗の時代以降はその順序が逆転しているのである。 本年度は、こういった“伝書が伝統技芸を再創生する”という文化的営為の在り方について注目し、まずは近世中期以降に鷹書によって象られた放鷹文化の諸事象を具体的に分析してゆく。さらには、それと類似する事例として、近世中期以降の流鏑馬・笠懸と馬術書との相互関係の問題についても取り上げる。それによって、伝書によって再構築された伝統技芸とそれにまつわる文化事象を体系化してゆくことを目指す。
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Report
(1 results)
Research Products
(4 results)