"global realisms"の観点からみた文学理論の誕生と顔の表象
Project/Area Number |
22K00482
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 02050:Literature in general-related
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Research Institution | Niigata University |
Principal Investigator |
番場 俊 新潟大学, 人文社会科学系, 教授 (90303099)
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Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
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Budget Amount *help |
¥1,950,000 (Direct Cost: ¥1,500,000、Indirect Cost: ¥450,000)
Fiscal Year 2025: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2024: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2023: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2022: ¥390,000 (Direct Cost: ¥300,000、Indirect Cost: ¥90,000)
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Keywords | global realisms / 小説 / 顔 / 文学理論 |
Outline of Research at the Start |
坪内逍遙の『小説神髄』(1885-86年)や夏目漱石の『文学論』(1907年)を、ウォルター・ベザントとヘンリー・ジェイムズの『小説の技法』(1884年)やロシア・フォルマリストらによる文学理論樹立の試みと同時代的でトランスナショナルな出来事ととらえ、これらの理論家/小説家たちの営為と、小説における「顔」(キャラクター)の評価/造形という問題との結びつきに注目しながら、日本とロシアというヨーロッパの周縁地域における文学理論の誕生という同時代的出来事を再検討する。
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、リアリズムのグローバルな伝統を、ネーションと歴史を超えた(trans-)現象として捉えようとする試みにおいて近年提起された"global realisms"という概念を導きに、日本とヨーロッパにおける文学/芸術理論と実践を、とりわけ「顔」(キャラクター)の評価/造形という問題に注目しながら検討しようとするものである。具体的には、(1)坪内逍遙(『小説神髄』1885-86年、『当世書生気質』1885-86年)から漱石(『草枕』1906年)にいたる小説の理論と実践の展開、(2)漱石『文学論』(1907年)とロシア・フォルマリズムの同時代性、(3)ヴィゴツキー(『芸術心理学』1925年)やバフチン(「美的活動における作者と主人公」1920年代前半)といったロシアの理論家たちの仕事における「顔」の理論的位相などを主な主題としている。 令和5年度は、研究課題(1)の逍遙と漱石における「顔」の問題に関する検討を進めつつも、小説の系譜をトランスナショナルな観点から捉える作業の過程でややそこから離れ、ドストエフスキー『悪霊』(1871-72年)における「告白」の問題を中心に検討した。「顔」が、外面と内面の関係という問いの提起において小説のリアリズムにとって決定的な重要性をもっていたとすれば、「告白」もまた、隠された真実と偽りのうわべのあいだの葛藤をドラマ化する点において、小説ジャンルの成立と深い関係をもっていたからである。 そのほか令和5年度には、20世紀前半におけるきわめて特異な「顔」の問題化の一例として、カジミール・マレーヴィチの芸術論に取り組んだ。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
8月に名古屋外国語大学で開催された XVIII Symposium of the Internatjonal Dostoevsky Society に参加し、“The Generation and Suspension of Meaning in Demons” と題する報告をおこなった(8月26日)。『悪霊』における世代(generations)間の対立という問題は、言うこと(saying)における意味(言わんとすること meaning)の生成(generation)の問題と結びついて提起されている。そこで大きな示唆を与えるのは「私が意味と呼ぶのは問いに対する応答である」というミハイル・バフチンの定義であり、『悪霊』の主人公スタヴローギンにおける意味の宙吊り(suspension)は、削除された章「チホンのもとで」で彼が提示する文書のジャンルの曖昧さ、宙吊り(suspension)において極まることになる。従来の慣例に従って、この章を「スタヴローギンの告白」と呼ぶことの誤りが、そこから明らかになるが、自らの発話をコントロールすることのできない主人公の苦境というこの問題は、『悪霊』においてはさらに「署名 signature」の問題化にもつながっている。本報告は、のちに、若干の改訂を経て、オーストラリアの学術誌(Studies in East European Thought)に投稿した。 令和5年度の後半では、20世紀初めにおける顔/キャラクター論のトランスナショナルな展開という観点から、1930年代に画家のマレーヴィチがバウハウスでおこなった講義、なかでもそこで提起された「付加的要素」という概念の検討に取り組んだ。
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Strategy for Future Research Activity |
令和6年度には、令和5年度において研究課題(3)の一環として検討を開始した20世紀アヴァンギャルド芸術論の問題(マレーヴィチの芸術的/理論的営為における「顔」の問題の位置づけ)を、研究課題(1)や(2)の日本文学の問題に結びつけるための検討をおこなう。導きとするのは、『文学論』における漱石の文学的内容の形式の定義(F(焦点的印象ないし観念)+f(付着する情緒)の結合)や、『草枕』におけるヒロインの顔の描写を、同時代のキュビスムにおける感覚の分解と再統合という問題に関連づけた岡崎乾二郎の議論である(『抽象の力――近代芸術の解析』2018年)。スプレマチズムと生理学の関係は、同時代のシクロフスキーをはじめとして、マルカデ、グリガルといったのちの研究者らも指摘していたが(グリガルはシュプレマティズムの方法論的源泉として、アヴェナリウス、マッハ、ボグダーノフらの経験批判論、ヴント、リップスらの感情移入の心理学・美学、パヴロフ、ベフテーレフらの反射学の三つをあげている。M. Grygar, “Теория ‘прибавочного элемента’ Казимира Малевича”, Russian Literature, 1989, No. 3, с. 318-319)、岡崎はさらに、視覚の生理学的検討において浮かび上がる時間性が、無垢な視覚の自律性というモダニズムの神話の批判的再検討につながる可能性を指摘している(松浦寿夫・岡崎乾二郎『絵画の準備を!』2005年)。 研究課題(3)においてはさらに、ヴィゴツキーが『芸術心理学』においておこなった「主人公」概念の批判を、同時代のトゥイニャーノフによる同様の批判や、バフチンによる独特の主人公/キャラクター論と比較する作業をおこなう。
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Report
(2 results)
Research Products
(1 results)