Project/Area Number |
22K12647
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 80030:Gender studies-related
|
Research Institution | Miyagi Gakuin Women's University |
Principal Investigator |
櫻井 美幸 宮城学院女子大学, 学芸学部, 准教授 (60710902)
|
Project Period (FY) |
2022-04-01 – 2025-03-31
|
Project Status |
Granted (Fiscal Year 2023)
|
Budget Amount *help |
¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,000,000、Indirect Cost: ¥300,000)
Fiscal Year 2024: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2023: ¥520,000 (Direct Cost: ¥400,000、Indirect Cost: ¥120,000)
Fiscal Year 2022: ¥260,000 (Direct Cost: ¥200,000、Indirect Cost: ¥60,000)
|
Keywords | ジェンダー史 / 女子教育史 / 女性の宗教運動 / 宗教改革史 |
Outline of Research at the Start |
宗教改革以降、女子教育の名のもとに自ら積極的な使徒的活動に身を投じた女性たちの活動(教育女子修道会)に焦点を当て、女性の地位が低下したといわれる近世における女性の宗教運動の可能性と限界を明らかにする。一般的な女性の理想像とは反する女性の活動を歴史的にどのように位置づけるか、聖職者や為政者による評価、さらに両性の関係性にも配慮しながら、おもにドイツ語圏の史料を用いて考察を進める。まずは教育女子修道会の代表である英国女子修道会の活動とその変遷について、続いてバイエルン地域に拡大した英国女子修道会学校の展開について、さらに他の女子教育団体との比較を行いながら考察を行う。
|
Outline of Annual Research Achievements |
近世において、女性が果たした能動的な宗教運動での役割を明らかにするのが本研究の目的である。2年目は、イエズス会の影響を受けた英国女子修道会が、17世紀にバイエルン地域においてどのように展開し、拡大したのかについて史料を用いて考察を行った。昨年度英国女子修道会が解散命令にも関わらず、バイエルン公の配慮によりミュンヘンで世俗の女学校として存続した過程について明らかにしたが、ミュンヘンから始めて他地域に女学校が進出した先がアウクスブルクである。 アウクスブルクは帝国自由都市であるが、カトリックとルター派の両派共存を選択した都市である。16世紀前半の段階では住民の80%以上がルター派であったが、帝国議会の開催地であり、皇帝との関係も配慮しなければならない立場から両派共存を選択した。英国女子修道会の女学校が開設されたのは1662年であった。 彼女たちの立場は微妙なもので、故郷イングランドで宗教的迫害を受けているという理由で「一時的な」滞在を認めるというものであった。収入は、フッガーなどカトリックの有力者からの寄付を除けば修道院学校の寮生の親から徴収する料金だけであった。都市中・下層出身の少女向けの通いの初等学校も併設していたが、彼女たちからは料金を取らなかった。市民権を持っていないと都市の土地を買うことができなかったので、彼女たちは賃貸で土地・建物を借りて学校を運営した。学校は評判を呼び、たちまち多くの生徒を集めたためすぐに学校は手狭になり、何度も都市内で引っ越すことになる。 慢性的な資金不足を解消するため、アウクスブルク司教に働きかけて、1680年に司教領内で宗教団体として認可されることに成功した。しかし、ルター派の有力者たちから危険視されたことで追放されそうになる。しかし1690年に皇帝の推薦により都市の市民権を取得することに成功、収入も安定し、他地域に拡大する契機となった。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
本来なら、アウクスブルクへの英国女子修道会学校についての論考を論文として発表する筈であったが、2023年の9月末から右ひじ付け根の筋肉の炎症を発症してしまい、右手を使用する時、とくにパソコンを使用する時に常に痛みが生じるようになった。一か月痛みが引かなかったため整形外科を受診したところ、過剰なデスクワークによる筋肉の炎症が原因ということで、パソコンの使用を制限されることになった(どうしても必要な時は左手を使用)ため、パソコンを使用して論文を執筆することが不可能になってしまった。したがって、論文執筆までの研究は9割方できていたものの、論文を執筆して成果を発表するということが今年度中達成することができなかった。ただ2024年5月現在筋肉の炎症は9割方治っているので今年度中の論文発表は可能である。次のケルンに関する研究は、夏にドイツで史料収集してからとりかかることになるので、進捗状況は当初予想していたものよりは時間的には遅れているといえる。
|
Strategy for Future Research Activity |
右肘の筋肉の腱炎症はほぼ改善しているので、使い過ぎに注意をすれば、今年度論文の執筆と発表は可能である。論文執筆と並行して3年目の研究予定のケルンのウルスラ団体(教育修道会のウルスラ会とは異なる)についての史料を収集し、いかにケルン市民から歓迎され、女学校を展開していったかについて分析を行う。ある程度文献は出版されていて、いくつかは手元にあるが、かなり古い時代に出版された研究書や一次史料については入手が難しいため、現地の文書館に行く必要がある。夏に現地で史料収集を行い、史料分析・考察を秋以降に行う予定である。論文執筆は冬に着手する。
|