Research Abstract |
本研究の目的は,1:幕末維新期における鳥取県西部地域の社会的・経済的な実情を,地方史料の分析を中心としながら明らかにすること。2:戊辰戦争期に組織された鳥取藩軍のひとつで,主たる構成員が農兵であったことが特徴的である新国隊に集った隊員の動向に関係する史料(新出史料を含む)を調査・分析し,1との相関に留意しながら考察すること。3:1と2から明らかとなる成果を,幕末維新期から明治時代前半の鳥取県西部地域を事例とした諸研究や鳥取藩政史研究の成果と比較検討することとした。 まず,1については,鳥取県立博物館・米子市山陰歴史館所蔵諸資料および先行研究から検討・分析し,幕末維新期の鳥取藩および鳥取県における,特に対外的な(≒輸出)経済の中心地であることを確認した。一方で,駐留する藩士が少ないこと(結果として,軍事力を補うために農兵の取立てが進められていた)等の理由から軍備不足が明らかであり,また当時の社会状況(外国船の来校,一揆・打ちこわしの頻発等)を考慮すれば,対外的警衛および治安維持を目的とした軍隊の駐留が不可欠であると考えた。 次に,2については,新たな関係者子孫と連絡がとれたり,また鳥取県立博物館所蔵史料のなかに新国隊員に関するものを発見した。特に将校(小隊長・分隊長)クラスの情報・史料発掘が進み,幹部である「因幡20士」を含め,隊員の履歴等が判明した。 最後に,3について簡単にまとめておく。新国隊は,鳥取藩から中核的な実戦部隊となるべく期待を受け成立し,当時の社会状況を背景に藩経済の中心地である米子周辺の警衛・治安維持に従事した。たしかに,戊辰戦争の実戦には従軍していないが,幹部および将校級藩士の経歴や軍隊としての装備・訓練等の状況,および米子に隣接する境港が羽州戦争へ向かう海路の出発点であり,選挙悪化の際は比較的速やかに戦地に向かえること等の理由から,藩内における有力な実戦部隊であったと位置付けた。
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