Project/Area Number |
25904008
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Scientists
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
史学
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Research Institution | 多治見市文化財保護センター |
Principal Investigator |
春日 美海 多治見市文化財保護センター, 嘱託学芸員
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Project Period (FY) |
2013-04-01 – 2014-03-31
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2013)
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Budget Amount *help |
¥300,000 (Direct Cost: ¥300,000)
Fiscal Year 2013: ¥300,000 (Direct Cost: ¥300,000)
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Keywords | 近代 / 美濃窯 / 高田徳利 |
Research Abstract |
近代に美濃窯高田地区および小名田地区(現岐阜県多治見市)で生産された「高田徳利」(貧乏徳利)は東日本一帯に流通した製品である。高田徳利は主に高田の生産者が製造し、隣接地区の小名田の商人が販売するという構造があった。また、大正12年(1923)の関東大震災直後に近世以来の好況期を迎えるが、昭和初期にはガラス瓶に押され、需要が激減したと言われてきた。本研究では小名田の徳利販売商人・堀江商店の文書(「堀江家文書」)を分析し、高田徳利生産終末期の様相を明らかにすることを目的とした。 堀江家文書のうち、大正13~昭和19年(1924~44)の高田地区からの徳利類の仕入れが記録された『高田徳利勘定帳』を分析すると、昭和2年(1927)をピークに徳利の仕入れ量が急激に減り始め、昭和15年(1940)を最後に仕入れが無くなることが分かった。そして、翌年からは、網足(漁網の錘り)や金属製品の代用品として湯たんぽや土瓶(鉄瓶)が、徳利に替わる製品として伸びていくことがみえてきた。また、他の文書からは堀江商店で徳利の販売量が落ち込む頃より、徳利販売と併行して「年玉」商品の販売を始めていることが明らかになった。「年玉」商品とは、盃や小皿に注文主の店名や商標を入れ、年始の挨拶に顧客に配布するための「印物」と呼ばれる商品とみられ、堀江商店では高田徳利需要減少の打開策を「印物」に見出していったとみられる。堀江商店の記録から、高田徳利生産が昭和15~16年(1940~41)頃に終末を迎え、高田の窯屋と小名田の商人それぞれが徳利に替わる生き残り策を模索していった様子が明らかになった。これにより、高田徳利は従来言われてきた通り、昭和初期に需要減少を迎えることが裏付けられたと同時に、これまで明らかにされたことがなかった終末時期を凡そ特定することができた。 本研究の成果は『物質文化』94号に掲載すると同時に、勤務先の多治見市文化財保護センター企画展「高田徳利~高田の窯屋と小名田の商人」(期間 : 2014年1月27日~6月27日)を開催し、広く市民に成果を公表した。
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