北海道拓殖期における殖民軌道の役割についての歴史的研究
Project/Area Number |
62510186
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Japanese history
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Research Institution | History Museum of Hokkaido |
Principal Investigator |
畑山 義弘 北海道開拓記念館, 開拓の村整備室施設課, 学芸員 (90132836)
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Project Period (FY) |
1987
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1987)
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Budget Amount *help |
¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 1987: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
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Keywords | 北海道 / 殖民軌道 / 簡易軌道 / 殖民 / 鉄道 / 拓殖 |
Research Abstract |
今回, 殖民軌道の調査をしたことにより次のことが明らかになった. 殖民軌道は, 北海道第1期拓殖計画末期の大正13年に取上げられ, 根室の厚床より標準に至る約80km, 軌間762mmの根室線が最初であった. これを「北海道殖民軌道」と呼んだ. 軌道は国費によって北海道各地に施設され, 36の線が運営された. (昭和2年の第2期拓殖計画では47線, 407km). 設置については, 軌道法第32条により特許申請は不要で, 設置する官庁(農林省)が主務大臣と協議してなされていた. しかしこの制度で実施されたのは根室と枝幸の2線だけであった. 昭和20年以降, 北海道緊急開発計画の樹立にともない, 名称を「北海道簡易軌道」と改称し農林省の所管となり, 国有機関車, 軌道の保全のため国が費用を補助していった. また軌道の新, 改良は北海道開発局が担当し, 北海道知事がその管理者となり, 昭和28年からは, 管理運営に関しては, 北海道庁と各町村が委託協定を結び一切の管理運営を各町村が行うようになった. しかし昭和46年3月をもって国の補助(土地改良法による補助)が打ち切られ, また道路網の発達により自動車が急速に普及し, 軌道の利用が減少, 施設の老朽化にともない経営が困難となっていった. このため昭和46年12月, 浜中町営軌道を最後に北海道から消えていった. また今回の調査で軌道の運営と利用について確認されたことは, 当初は利用者が「移住者世話所」に申出て承認を受ければ無償で軌道の使用ができたが, その後計画輸送と自主的管理運営の必要から利用者を組合員とする運行組合に委託, 組合は使用料を徴収して維持費用にあてた. ただし根室線, 枝幸線は軌道法32条により直営運輸線として国が直営していた. この他軌道の営業実績, 地域の変ぼうについては資料の整理分析が終了次第明らかにしてゆきたい.
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Report
(1 results)
Research Products
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