研究概要 |
本研究は,平成元年,2年の2年間にわたっておこなわれ,CERNのLEARで総計約200時間,デンマ-クオ-フス大学で約400時間(タンデム加速器)のビ-ムタイムを獲得してなされた。特に低速反陽子と薄膜の相互作用における2次電子放出実験としては世界で最初のものであり,我々にとっても未知の部分の多い研究であったが,いくつかの非常に興味ある結果を得て研究を終ることができた。以下にその概要を記す。 1.低速反陽子の生成と検出:LEARから供給される反陽子ビ-ムは5.9MeVであり,我々は1MeV以下に興味があるため、薄いAl板を用いて減速した。このため反陽子ビ-ムは数百keVのエネルギ-巾を持つことになる。我々は、2次電子を生成した反陽子のエネルギ-をTOF法により決定した。このため,電子分光器に用いられている位置敏感型電子検出部に工夫をこらし、速いタイミングパルス(【less than or similar】1ns)と波高精度のよいエネルギ-パルスが得られ 2.この方法により,300keV〜1MeV程度の巾広いエネルギ-スペクトルをもつ反陽子により生成される2次電子を,数10eVから2keV程度のエネルギ-領域にわたって効率よく測定することができた。 3.入射粒子とほぼ等速の電子:荷電粒子が誘電媒貭中を運動するとプラズモンを励起し,結果として,振動する電荷の粗密波が荷電粒子のあとをついて走ることが知られている。この粗密波に伴ってウェィクポテンシャルと呼ばれる振動型のポテンシャルが形成される。ウェィクポテンシャルには電子に対して引力的になる部分があり,そこへ電子が捕獲され,荷電粒子と等速で固体中を運動する可能性が古くから指摘されていた。(ウェイクライディング電子)我々はウェイクライディング電子の検出には,荷電粒子自身は電子に対しては引力的でないものが本貭的であることを指摘し,本研究を開始した。1,2で述べた手法により,荷電粒子とほぼ等速の電子を検出した所,(1)陽子に対しては,よく知られたカスプ状のピ-クが観測されたが,(2)反陽子は比較的なだらかな,起伏にとぼしいスペクトルになった,(3)ただし反陽子と等速の電子エネルギ-より約50eV下に“肩"が確認された。我々と協力関係にある米国オ-クリッジ研究所のJ.Burgdoerferによる理論計算では,我々の観測とほぼ同じエネルギ-位置に,同程度の強度のウェイクライディング電子を予想している。エネルギ-巾,形状等についても互いに無矛盾であるため,我々は観測された“肩"がウェイクライディング電子によるものと考えている。 4.2体衝突ピ-ク:2次電子スペクトルの示すもう一つの顕著な構造は,入射粒子と標的内電子の2体的相互作用により,ほぼ入射粒子の2倍の速度で放出される2体衝突ピ-クである。これは第1次の近似ではラザフォ-ド散乱そのものであって,入射粒子の電荷符号には依存しない。しかし、標的内電子は束縛されており,入射粒子がこの束縛状態を変化させながら衝突に関与する時(2次の摂動)には違いの生ずることが予想される。特に内殼電子についてこれは顕著である。我々は,300keV〜1MeV程度のエネルギ-領域について,この2体衝突ピ-クの強度,形状を測定した。陽子との定量的な比較については現在進行中である。 我々は,この2年間の研究を通じて,低速反陽子ビ-ムを物性研究に応用する足がかりを得たと感えている。今後は,上に述べた原子物理学的側面に加えて,(1)低速反陽子と清浄表面の相互作用,(2)特殊な形状をしたクラスタ-による反陽子トラップ,(3)アルカリライドなどにおける損傷形成の電荷符号依存性等の興味深いテ-マを追求する予定である。
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