研究概要 |
本国際共国研究の代表者,三辻は「古代篠器の伝播・流通の研究」を行うため,その基礎となる「古代土器の産地推定法の開発研究」を過去十年間にわたって推進してきた。この研究の中心となるのは,全国各地に数千基の窯跡を残す須恵器である。各地の窯跡から出土する多数の須恵器片を分析することによって,どのような元素が地域差を表示するのか,一基の窯又は一つの窯群でどの程度のばらつきがあるのか,そして,各地の須恵器の化学特性にどの様な地域差があるのか、その原因は何かといった基本問題が解決できる。既に全地域の須恵器の化学特性が求められており、さらに,その後背地の基盤を構成する花崗岩類,その上に分布する土壌・粘土も分析さり,各地の須恵器の化学特性もよく理解されるようになった。そして,これらの基礎デ-タを土台にして,地元産の須恵器か,外来品の須恵器かという2群間判別分析によって,古墳・遺跡出土須恵器の産地が推定できるようになった。 初期須恵器の窯は大阪陶邑(堺市)をはじめ,福岡県甘木市の朝倉群,佐賀市の神篭地窯、仙台市の大蓮寺窯などが発見されているが,朝倉群以下の地方窯の製品は窯周辺の古墳に検出されており,伝播・供給力は小さいことが示された。これに対し,大阪陶邑産の須恵器は全国各地の古墳に検出されており,5世紀頃,一元的に全国各地に供給されていたことが証明された。 この時点で,韓国産の陶質土器が日本の遺跡にどの様に分布するかが問題となった。そのため,新羅の望星里窯群,上辛里窯群,洛東江上流の高霊附近の内谷洞群,新塘洞群,〓溪堤窯,それに,百済の雲谷洞群,三竜里群の多数の陶質土器が分析された。これらの窯群間の相互識別は必ずしも明快ではなかったが,日本の大阪陶邑群や九州北部地域の朝倉群などからはほぼ完全に相互識別された。この結果を使って,日本国内の遺跡に陶質土器を求めてみた。大阪府の大庭寺遺跡,小阪遺跡,伏尾遺跡や福島県群山市の南山田遺跡の一見,陶質土器にみえる硬質土器もほとんどが大阪陶邑産と推定された。このことは朝鮮半島からの工人集団が渡来した当初,大阪陶邑の須恵器生産工場で外見上は陶質土器とみられる須恵器を生産し,それを日本各地へ供給した時期があったのではないかと考えられた。これに対して,奈良県天理市の星塚1・2号墳,小路遺跡には予想外に多くの陶質土器が検出されており,渡来人集団の遺跡と考えられた。 一方,新羅・百済の遺跡出土陶質土器にはほとんど外来品はなかった。それに対して,釜山周辺では新羅側からと推定される搬入品の他に,高霊周辺からの搬入品も検出された。この外に,金海辺りに釜山Xという未発見の窯があることが予測されている。 古代土器の日韓国際交流についての研究が進展するに至り,さらに,地域を拡大して,中国の土器の伝播・流通に関心が向けられるようになった。その最初に取り上げられたのが唐三彩である。唐三彩片は貴重品であるため,完全非破壊分析で検査された。西安の耀州窯,洛陽の鞏県窯,さらに両市周辺の古墳・遺跡出土の唐三彩片を分析した結果,K/Ca,Rb/Srの2因子に特徴があることが判明した。この化学特性を使って,日本国内の遺跡出土の唐三彩が検査された。最近,奈良県檀原市の藤原宮跡二条六坊跡から出土した俑(?)片は本ものの唐三彩であることが証明された。その外,奈良市出土の陶枕,輪花林,白磁円面硯は唐からもってこられたものと判明した。これに対して,三彩壺は唐三彩の化学特性はもって,おらず,むしろK/Ca,RB/Sr因子からま奈良三彩と推定された。同様に,石川県の寺家遺跡から出土した三彩陶器はすべて,奈良三彩と推定された。 今回開発された唐三彩の鑑別法を使って,日本国内の遺跡に唐三彩と奈良三彩がどの様に分布するのかという研究を展開できる見通しができた。 中国,韓国では他の陶器についても,今回開発した2群間判別分析法を使って土器の産地を推定し,古代土器の伝播・流通の研究を推進しようとする強い意欲が出て来ており,今後の発展に大きな期待がかけられる。
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