研究課題/領域番号 |
01044101
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 共同研究 |
研究機関 | 九州女子大学 (1990) 山口大学 (1989) |
研究代表者 |
鈴木 滿男 (1990) 九州女子大学, 文学部, 教授 (30052955)
鈴木 満男 九州女子大学, 文学部, 教授
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研究分担者 |
安達 義弘 九州大学, 九州文化史研究施設, 研究員 (60175891)
秀村 研二 明星大学, 人文学部, 専任講師 (60218724)
直江 広治 筑波大学, 名誉教授 (10015323)
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研究期間 (年度) |
1988 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
8,800千円 (直接経費: 8,800千円)
1990年度: 5,500千円 (直接経費: 5,500千円)
1989年度: 3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
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キーワード | 中国 / 淅江省 / 比較民俗学 / 文化人類学 / 村落調査 / 伝統と戦後の変化 / Post-War Transformation |
研究概要 |
1 研究計画の目的 越系文化の現在における実態を、主として村落の民俗調査を通じて明らかにすることが主たる目的である。それにより、日本民族の形成と歴史的展開について、環東シナ海の全域を視野におさめたいっそう正確な理解に到達することが、副次的な目的である。 ここに「越系文化」と呼ぶものは、古代に華南に広く分布していた、いわゆる「百越」の諸文化の“survival"が、その後の漢化/中華化によって大きな変化を破りつつも、なお民俗調査を適当な“戦略"にしたがって行うならば、発見しうるだろうという想定にもとづく。いわば、すぐれて“heurisric"な概念である。「越系民俗」という語も、ほぼこれと同じ意味に用いることができる。 越系民俗の残存が予想される地域はきわめて広範である。我々は、その中から、特に日本列島の古代/先史文化との関連が密接であると考えられる東南沿岸地域を最初に取りあげることにした。研究代表者の鈴木満男と中国学界とのこれまでの接触状況を主な要因として、当初、福建、江蘇、山東の3省が選ばれたが、後に諸般の事情により福建省を1年、浙江省を2年、調査することになった。 2 研究計画の必要性 これまでのところ、「越系文化」「越系民俗」という視点によって、中国の東南地域の調査が行われたことはない。一方において考古学と文献史学による古代「百越」の研究があり、他方においては、そのような文化史的背景への顧慮なしに、現行の民俗の調査が為されてきた。 ただひとつ、我々の研究にとって重要な参考となったものは、エ-バァハルト(Wolfram Eberhard)が1930年代におこった。中国の「地方文化」(local cultures)の研究である。彼は、いわゆる「中国文明」が複数の種族文化の接触と融合によって形を成したと考え、それらの種族文化の種類と性格とを、歴史文献と民俗誌/民俗誌の知識を組みあわせて復原しようとし、かなりの成功を収めた。 我々の研究は、《比較民俗学》の方法と知見により、エ-バァハルトの構想を検証し、深化することを試みた。 比較民俗学というのは、現在、日本の民俗学界で急速に発展しつつある研究分野である。その特徴は、日本民俗学がこれまで蓄積してきた厖大な量の民俗資料の解釈にあたって、国内の事例のみの比較に拠ることなく、東アジアの他地域の事例との比較をも併せもちいて、民俗の起源と展開についてのいっそう精確な解釈に近づこうとする点にある。 つまり、<越系文化の比較民俗学的研究>とは、エ-バァハルトについておこなった作業を、日本民俗をも視野に入れながら、一歩先に進めようという訳である。現在、日本の学界で大きな課題となっている、日本稲作文化の起源についても、また朝鮮半島との文化的関係についても、この研究の成功的な推進が側面から光を投げかけることが期待される。 3 研究計画の成果 1) 福建省については、種々の事情により(その主なものは中国がわの“過大な"と我々には思われる経費の請求である)、村落に入って“intensive"な観察と調査とをおこなうことができなかった。しかし、福建省のほぼ全域を“extensive"に歩いてみて、この省の社会・文化の概観を得ることができた。これは、厦門大学人類学研究所、福州博物館などの何人かの優れた研究者との間に打ち立てられた友好関係とあいまって、将来、我々が再びこの省を調査する機会に恵まれた、活用すべき大きな資産となるはずである。 中国がわ研究者と我々との協力は、『越系文化研究初探I福建民俗研究』(杭州市:淅江人民出版社より近刊)となって結晶した。 2) 淅江省の調査に我々は2年間を充てた。それは、杭州大学との間の協力関係が大体において順調にゆき、十分な村落調査をおこなう可能性が生まれたからである。1年目には淅江省北部を取りあげた。本隊は、富春江をさかのぼって途中いくつかの漢族の村に入ったほか、She族(淅江省の主な少数民俗)の村をも見ることができた。支隊は、湖州と紹興に各1村落を選んで住み込み調査を実施した。 2年目には中・南部を、取りあげた。本隊は金華地域をまわった後、浦江県の2村落を集約調査、支隊は臨海県・温嶺県から1村落を選んで住み込み調査をおこなった。 3) 淅江省調査の成果の一部は、杭州大学を中心とする中国がわ研究者の論文と共に、『越系文化研究初探II淅江民俗研究』として1992年初めて淅江人民出版社より刊行の予定である。
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