研究分担者 |
王 文楚 復旦大学, 歴史地理研究所, 教授
鄒 逸麟 復旦大学, 歴史地理研究所, 教授
魏 嵩山 復旦大学, 歴史系, 教授
樊 樹志 復旦大学, 歴史系, 教授
片山 剛 大阪大学, 文学部, 助教授 (30145099)
高橋 正 大阪大学, 文学部, 教授 (10081043)
FAN Shu-zhi Professor, Department of History, Fudan University
WEI Song-shan Professor, Department of History, Fudan University
WANG Wen-chu Professor, Institute of Historical Geography, Fudan University
|
研究概要 |
本計画は,江南デルタの農村に入り,老農に就いてその解放前の記憶を聴取り,整理し,それによって旧中国農村の社会構造の解明に資することを目的としている。上海に位置し,歴史地理研究所を擁する復旦大学の研究者との,共同研究という形態をとったが,阪大側研究者は,近世華中南のデルタ開発史という大きな研究テ-マの一部にこの共同研究を位置付けた。 研究は現地における観察と聴取調査を主とし,伝統的な方法である,文献資料の収集を併用するものである。 現地調査は,上海特別市青浦県朱家角鎮・練塘鎮および〓嘉定県婁塘鎮で実施した。青浦県の両鎮は何れもデルタ最低地に在り,開発が江南デルタでは比較的新しい地域であり,純然たる米作地帯に属す。他方,婁塘鎮は15〜6世紀以来,デルタ東方の高郷に在って棉作・農村棉業を主たる生業とする地域である。江南デルタを対象とする以上,デルタ低地に普遍的な,桑栽培・養蚕・製糸業地域は不可欠であり,当然に当初の計画には含まれていたが,上海特別市の行政区域内には存在せず,89年以降の学術に対する政治統制強化という政策の下で,上海市所在の復旦大学は,外国人との共同調査を市域を超えて行うことは,中央の高等教育委員会によって禁止された。已むを得ず,別途資金を以て,浙江省社会科学院の研究者と協力,1990/9に湖州市双林鎮を調査した。 調査の地点と日時は以下の如くである。1989/12〜90/1:青浦県政府及び朱家角(鎮・郷政府,澱峰・山湾・南港・沙家〓・馬家〓村)。1990/6〜7:青浦県政府及び練塘(鎮・郷政府,〓甸・沈陶・〓口・水産村),嘉定県の予備調査。1991/8〜9:嘉定県政府及び婁塘(鎮政府,婁南・三里・陸渡・庵橋・邵宅村),青浦県補充調査(県政府,練塘〓口・葉庫村,朱家角沙家〓・馬家〓村)。 現地調査は,県・鎮・郷の地方・地名志編纂者や,各政府の水利・文化・土地管理工作者,そして古老からの聴取りを主とした。調査の主眼は,1)聚落・耕地の開発・定住の過程を可能なかぎり解明し,2)その立地条件を考察して開発の進展に伴う地文・水文の変遷を追跡し,3)農業生産・副業など生業,日常の売買や市場との関係を発掘し,4)聚落に存在した信仰や社会的共同関係を析出し,4)商業化ー副業の展開という江南に一般的な趨勢に伴う社会組織の変化化を把握することに置いた。 文献調査は,主として往復に必ず経過する上海市復旦大学の図書館・歴史系・歴史地理研究所資料室や上海図書館で関連資料の閲覧・複写を行った外に,青浦・嘉定両県の文書館(档案館)で閲覧を行ったことは,今次調査の大きな収穫の一つに挙げることができるであろう。県級の档案館は,国家档案法の規定は公開を謳うにせよ現実には外国人には未公開であった。我々は復旦大学関係者の粘り強い交渉と,県政府関係者の理解のもとに,ほとんど外国人として初めて,入館・利用したのである。方志編纂に用いられた資料は档案館に収蔵される方針があるようで,档案=公文書の範囲は,各種の私文書や新聞雑誌の類にまで及んでいる。我々は,解放前の地方新聞の閲覧筆写(複写は一切認められぬ)や,土地改革関係資料の筆写・複写を行った。期待に反して,清代〜民国期の県政府公文書は殆ど無かったが,貴重な成果を挙げることができた(文書を学術研究の資料として一般の研究者が利用する経験が全く無かった中国では,閲覧・複写に法外な料金を要求されたこともあった)。 以上,阪大側研究者の派遣による調査活動と平行して,復旦大学側の研究分担者の招聘を実施した。1990年10〜11月には二人,1991年11月に一人(別途資金を以て,もう一人の分担研究者を同時に招聘)を招聘し,大阪・京都・奈良・名古屋・東京の各地で,大学訪問による交流,資料収蔵機関での文献資料閲覧・複写,講演などを実施した。とりわけ,本研究と近似する調査活動を実施しつつあり我々も密接な連絡をもつ名古屋大学地理学・東洋史学関係者の組織した濃尾平野デルタに関する二次のシンポジウム及び巡検(90年濃尾三川治水,91年濃尾平野初期開発と在郷町)は,地理学と歴史学が密接に連関し,現地調査による歴史研究の充実,という日本の研究状況の理解におおいに資するところがあったと言える。
|