研究課題/領域番号 |
01450054
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研究種目 |
一般研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
中村 質 九州大学, 文学部, 教授 (50069457)
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研究分担者 |
上田 純一 京都府立大学, 文学部, 助教授 (90176587)
菊竹 淳一 九州大学, 文学部, 助教授 (10000374)
町田 三郎 九州大学, 文学部, 教授 (20005747)
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研究期間 (年度) |
1989 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1990年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 近世五山 / 金地院崇伝 / 異国日記 / 朝鮮通信使 / キリシタン禁制 / 障壁画 / 鎖国体制 / 京都金地院 / 崇伝(本光国師) / 江戸幕府の外交 / 頂相と障壁画 / 近世五山の国際関係 / 国書の授受 / 江戸幕府外交 / 本光国師日記 / 新井白石 |
研究概要 |
京都金地院は、周知のごとく南禅寺を再興した以心崇伝が住した同寺の塔頭の一つである。崇伝は、徳川家康の信任を得て、寺社および外交関係事務を管掌し、内政上でも秀忠・家光期まで「黒衣の宰相」として活躍した。同院所蔵の「異国日記」・「異国渡海御朱印帳・異国近年御書革案」「本光国師日記」等は夙に著名であるが、その他所蔵資料については、収蔵庫収納品のみが昭和56年に櫻井景雄氏らによる、ごく簡単な仮目録があるに過ぎない。 (1)本研究は、金地院の収蔵庫にもとより、本堂・庫裡等に散在する古文書・古記録、障壁画、墨跡等にいたるまで悉皆調査を完了し、 (2)東博・京博等へ寄託中の、国宝・重文指定の記録・絵画を調査し、その讃などで、従来知られている刊本等との字句の異同を明らかにし、 (3)明治期に同寺より流出し、現在東京大学史料編簒所に架蔵される「五山衆試文・杜鶴文集」「本光国師大和尚入山記」「五山碩学并朝鮮修文職次目」「金地日録」等を採訪し、以上の総目録を完成させた。 (4)主要資規や資料の存在状況について、解説を施した。 (5)以上により、崇伝の外交・寺社・文教および寺院経営のほか、彼をめぐる幕閣・諸大名との関係がより鮮明になった。 しかし崇伝の死後、外交機能は老中や長崎奉行へ、寺社統制権は寺社奉行に斬次吸収され、五山の上に位した南禅寺一金地院の実権は衰退しながら幕末に及ぶことが「金地役記」等から知られる。 (6)什器類のうち、陶磁器については専門的知識を欠くので、調査から除外した。その数量は多くはない。 (7)対馬の以町案の位置には数説あり、現段階では正確な場所を確定するには材料不足と言わねばならない。
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