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江戸時代人骨の形質に関する人類学的研究

研究課題

研究課題/領域番号 01480034
研究種目

一般研究(B)

配分区分補助金
研究分野 人類学
研究機関東京慈恵会医科大学

研究代表者

加藤 征  東京慈恵会医科大学, 医学部, 助教授 (60056851)

研究分担者 影山 幾男  東京慈恵会医科大学, 医学部, 助手 (90169392)
竹内 修二  東京慈恵会医科大学, 医学部, 講師 (40057055)
研究期間 (年度) 1989 – 1990
研究課題ステータス 完了 (1990年度)
配分額 *注記
1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1990年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
キーワード江戸時代人頭蓋骨 / 江戸時代人上肢骨 / 江戸時代人下肢骨 / 藩主人骨 / 江戸武士人骨 / 江戸庶民人骨 / 江戸武士頭蓋骨
研究概要

江戸時代は現代に比較的近く形質的にも最も近いことが想定される。しかし、江戸時代は士農工商で知られる通り階級制度が明確であり、鈴木の徳川将軍の形質調査から階級制度の頂に立つ者の貴族形質が明らかにされているが、それ以外は江戸時代人として一様の形質を有するか否かは論じられいない。
江戸は1590年徳川家康が関東8カ国に移住させられたことから始まり平成元年で丁度400年になる。江戸時代は武士と町人の階級は厳確に維持され、増上寺およびその子院群は徳川幕府に関与なる武家しか檀家となることを許されなかったとされている。
研究者等は港区三田済海寺から出土した長岡藩主の人骨、港区芝の増上寺子院群の跡地の発掘で得られた人骨とそれより多少格式の高いと言われる天徳寺子院の発掘で得られた人骨群を武家々族とした。一方上野7丁目の上車坂町出土人骨および湯島無縁坂出土人骨群を庶民家族とした。これら武家と庶民の他に江戸の先代である鈴木の鎌倉時代人骨、後代である森田の現代関東地方人骨とを比較した。そのほか江戸時代人骨として鈴木らの雲光院、森本らの一橋高校地点出土人骨などは東京都内のもので、更に脇の熊本県桑島、中橋の福岡市天福寺出土の江戸時代人骨を参考とした。この様に多くの人骨群を比較し、藩主、武士、庶沢と思われる人骨の形質を明らかにした。頭長は鎌倉時代人が最も長く、次いで湯島・上車坂の江戸庶民、芝公園1丁目・天徳寺の武士、現代関東地方人が短く、長岡藩主が最も短い値を示した。頬骨弓幅は江戸庶民が最も広く、次いで鎌倉・江戸時代武士がこれに次ぎ、現代人は132.9mmと狭いが藩主ではさらに狭くなっている。このほかいくつかの計測項目において庶民、武士、現代人、藩主へと計測値の上で連続した形態がみられた。

報告書

(3件)
  • 1990 実績報告書   研究成果報告書概要
  • 1989 実績報告書

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公開日: 1990-04-01   更新日: 2016-04-21  

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