研究概要 |
小山正太郎および小山の画塾不同舎の門人資料を写真撮影等によって収集し,それを整理分析することによって次のような諸点を明らかにしようとした。すなわち小山の洋画推進と美術教育における論理と行動,小山の素描の様式の根源とその変化,不同舎の教育における小山から門人への様式の転移,指導内容の変化等である。 収集したのは文書資料が小山正太郎自筆文書を中心に約七十種,約一千五百頁分である。絵画資料は小山正太郎と門人吉田博の素描を中心に約一千点を撮影収集した。その他に小山旧蔵の写真,書簡,印章,雑誌掲載論文等を撮影収集した。最初の予想よりかなり多い量の資料を発見できた。ただそのため大枠的な整理と一部の資料の分析は終了したが,全資料のていねいな整理分析作業は未だ終了していない。 収集資料の整理分析から得られた主な知見を挙げる。まず明治十二,三年の筆記帳に小山の画家観が記されていた。それは心身強健,国家有用の画家という,明治後期からのいわゆる芸術家的画家像とは対照的なものであった。この一節は近代日本の画家意識の発生と変遷を検討する上で重要な資料になると思われる。また小山正太郎の素描は最初期のフォンタネ-ジ様式,明治十年代後半の太い描線を用いた様式,二十年代以降の繊細な描線の様式へと変化していることが確認された。さらに今回の調査で明治十年代の俳句集が発見されたことから,従来指摘された漢詩と小山の作画意識との関連の他に,俳句との関連も検討されるべき課題であることがわかった。 門人資料からも多くの知見が得られた。小山と門人たちの素描は不同舎様式といって酷似しているが,実際に比較してみると個性の違いが明確にあることがわかった。また門人たちの題画資料や図案資料によって不同舎における教育の特徴ある一端を確認できた。
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