研究課題/領域番号 |
01510124
|
研究種目 |
一般研究(C)
|
配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
社会学
|
研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
山本 剛郎 関西学院大学, 社会学部, 教授 (90068742)
|
研究分担者 |
東元 春夫 芦屋大学, 教育学部, 助教授 (80218693)
|
研究期間 (年度) |
1989 – 1990
|
研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
|
配分額 *注記 |
1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
1990年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1989年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
|
キーワード | 同化 / 邦字新聞 / コミュニティ / 組織 / 集団 / 過程 / 移動 / 階層 |
研究概要 |
1)出稼ぎ的風潮の強い状況下にあって(今世紀初頭、厳密には1906年ころまで)、アメリカ社会への定住・定着化を提唱した、安我子久太郎の考え方を整理したのち、かれが実践して作り上げた、3つのコロニ-のうち、2つを詳細にしらべ、当時の日本人社会の再現を試みた。大和(Yamato)コロニ-とコ-テズ(Cortez)コロニ-がこれである。地理的には両者は近接し、同じような農業を行っていたが、その割りには互いは強い連帯感で結ばれてはおらず、交渉も蜜ではなかった感がある。それは、前者がクリスチアンで、インテリ層の多い集団であったのに対し、後者は仏教徒をかなり含み、インテリ層ばかりで構成されていたわけではなかったこと、と関わっているものと思われる。加えて、両者の形成時期に13年の開きのあることが、両地域の交流を少なくしている理由と思われる。大和コロニ-にしてみれば、折角苦労して築いてきた現地社会との良好な関係が、新たな波風のもとになり兼ねない新規のコロニ-の建設・そことの交流によって崩れることを恐れたからである。日本人を取り巻く状況の変化が、大和コロニ-をして新規のコロニ-との間に一線を画せしめたといえよう。もっとも、両者には多くの共通した組織が見られたことは事実であり、後者が前者を見習ったことは否定できないと思う。 2)安我子久太郎の提唱とは別に、日本人は、農業労働者から借地人・所有者になるにつれ、一定地域での定住(現地社会への定着化を必ずしも意味するものではない)を始め、それを契機に日本人会、農協、各種職業集団、教会、日本語学校を組織した。これら集団の累積体のなかに、われわれは日本人コミュニティの成立をみることができる。1908年頃である。日本人コミュニティの形成、発展の萌芽をこの頃と考える所以である。 3)その一端を邦字新聞を通して見てみよう。政治的主義を展開するいわば政論的な新聞から、同胞の動向を含め各種の情報機能、社会化機能をもつ、商業新聞が出現するのは前盛期から今世紀初頭にかけてであった。その商業新聞の1つで、日本人に大きな影響を与えた羅府新報をとりあげた。本来ならば安孫子久太郎による日米新聞を取り扱うべきであるが、入手困難なため断念せざるを得なかった。さて、羅府新報の発行頻度・部数を通してわれわれは日本人コミュニティの広がりを読みとることが出来よう。新聞の社会化機能が発揮されるにつれ、同胞は現地社会に同化し、それが今度は新聞の購読者層を減少させるという結果を招く。ここに新聞のもつジレンマがある。しかし、時代の状況が変化するにつれ、新聞の機能も当然変化する。社会化機能に加えて、いやそれに替わる、新購読者層獲得にむけての、新聞の機能付与の努力が続けらる。1983年の調査結果はその事を示している。
|