本研究は、戦間期フランス急進党による統一学校政策が、一般に「妥協き産物」とされてきたが、それはむしろ急進党に固有の論理の自然な展開であったのではないか、という作業仮説を設定し、これをフランス議会資料によって検証することにあった。その結果、次の諸点が確認された。 第1に、急進党の統一学校政策の基本構想は、戦間期に形成されたのではなく、第1次大戦以前の1906年に党教育綱領においてその骨格が形成されていたこと。 第2に、1909年党大会において採択された国民教育制度改革法案の「趣旨説明」および法文の分析により、戦間期統一学校政策の基本的内容を構成する初等教育段階の統一化、中等教育および高等小学教育、技術教育の第2段階への再編構想がこの中で示されていたこと。従って戦間期統一学校政策は、第1次大戦以前の構想の着実な実現の過程である、といえること。 第3に、急進党統一学校構想の視点は、「教育の自由」と「教育の平等」との対立する両概念の上に「国民的統一」「フランス同胞愛の形成」を設定し、フランス革命以来の自由と平等に相互補完性を位置づけたこと。 第4に、第2段階教育の編成は、全ての職業の「社会的有用性」に立脚する「社会的平等性」と社会的指導層の全階級からの民主的選抜の観点から、普通教育の最終段階に職業教育を位置づけ、それを義務化することにより構想されていたこと。大衆教育とエリ-ト教育の相互補完性が中等教育段階での統一学校化の視点であった。以上の視点は、戦間期統一学校政策において堅持されており、ここから戦間期統一学校政策の展間が第1次大戦以前の統一学校構想の実現の過程であったといえる。なお、戦間期統一学校政に多大な影響力をもち、推進力ともなった議会公教育予算委員会の各年次報告書の分析は、今後の継続的な研究の課題として残された。
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