研究課題/領域番号 |
01510140
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
稲垣 忠彦 東京大学, 教育学部, 教授 (00012550)
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研究分担者 |
木村 元 四国女子大学, 家政学部, 講師 (60225050)
寺崎 昌男 東京大学, 教育学部, 教授 (20062573)
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研究期間 (年度) |
1989 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
2,200千円 (直接経費: 2,200千円)
1990年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1989年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
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キーワード | 入学試験 / 国史科教育 / 算術科 / 女子入学 / 外国人留学生 / 東京帝国大学 / 台北帝国大学 / 台湾 / 入学者選抜 / 学力試験 / 受験参考書 / 内申書 |
研究概要 |
本研究では、中等教育段階の入学試験と大学段階の入学試験に焦点を当てた。 (1)昭和戦前期の東京の中学校の入学者選抜の沿革をとおして、〈入学試験問題〉の展開史を明らかにした。当時の小学校教育の内容は、施行規則-教師用書-教科書に規制されたものであったが、旧制中学校への受験参考書は、教育内容を組み直すものであった。受験参考書の果たしていたそういう役割を検討することをとおして、入試に規制される学力の一端を考察した。(2)大学入学試験は、1900年頃から深刻な問題となっていたが、試行錯誤の末、1922年に東京・京都・東北・九州の4帝大が協定を結んだことにより、帝国大学・官立大学の入学試験が制度的にほぼ統一され、定型が生れたことが明らかになった。また、1943年に、東京帝大において外国人留学生に限って入学に関する制度的改変が加えられた事が明らかになった。(3)明治10年代に東京大学では医学部に女子を正規学生として入学させる考えがあったが実現しなかったこと、同大学が初めて女子を学部学生として受入れたのは1946年であったが、同大学法学部大学院では1934年に中華民国人女子留学生を正規の大学院学生として入学させ、その後、日本人女子にも入学機会が開かれるようになったことが明らかになった。(4)台湾出身者が、台湾で台北帝大まで進学し、さらに敗戦後に内地の帝大に編入した事例をインタビューにより取りあげ、敗戦までの日本の入学試験制度がもっていた外地への広がりの基礎資料を提供した。
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