研究概要 |
香川敬三の子孫の家に残る文書24,837点を中心に,敬三の事蹟をはじめ,敬三が宮中で果した役割,および明治宮廷が我が国の近代化に果した役割を究明することを目的とした本課題研究で、次の成果を得た。 香川敬三の履歴については,本研究の研究成果報告書に写真版の履歴史料を付したが,維新後の職歴が明確となり,関与した仕事もほぼ見当がつけられた。幕末期の東京大学史料編纂所・岩倉公旧蹟保存会対岳文庫・宮内庁書陵部等の所蔵文書も検討したが,従来知られている事蹟に付け加える点は殆んどなかった。 さらに敬三の生家である蓮田家,養子先の鯉沼家(ともに茨城県東茨城郡御前山村)の調査で,敬三の親戚関係を明らかにできた。 明治宮廷において敬三が果した役割は次の通りである。明治17〜18年頃天皇と政府が対立した際,双方と接触があった敬三は,皇后を輔佐して,皇后に両者間の対立を融和させるように働きかけて奏功し,両者から信頼をより深く受けるようになった。また皇后には天皇の行動を補完させるようにし,行啓の場所にも気を配った。さらに皇后や女官が政治に介入しないよう心懸けるとともに,皇族たちの面倒を見ることにより,宮中での信任は厚いものがあった。敬三が果した役割は,立憲君主として仰がれる天皇,そして天皇を補完する皇后や皇族で構成される近代的な宮廷を作りあげ,外国とも対等に交際できるように制度化させる一端を担ったとみられる。 なお,明治宮延が我が国の近代化に果した役割については,今後も研究を深化させたい。また香川家文書の本目録作成のための経理も完了に至らなかったので,今後とも継続していく。
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