研究課題/領域番号 |
01510212
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 敦賀女子短期大学 |
研究代表者 |
多仁 照廣 敦賀女子短期大学, 日本史学科, 教授 (70197515)
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研究分担者 |
外岡 慎一郎 敦賀女子短期大学, 日本史学科, 講師 (00188765)
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研究期間 (年度) |
1989 – 1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
1990年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1989年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 敦賀半島 / 漁村集落 / 塩業 / 漁場争論 / 北前船 / 常宮神社 / 浦刀称 / 若連中 / 塩木山 / 刀称職 / 漁村史料 / 塩田 / 砂 / 水主 / 漁業技術 / 入会 / 村落社会集団 |
研究概要 |
敦賀半島集落の史料調査により、約3700点の文書を撮影収集した。各地区の数量は下記のごとくである。 敦賀市ー名子(塩屋文書742点、 明光寺文書87点) 縄間(斎藤文書221点) 浦底(区有文書115点) 手浦(秦文書45点) 沓見(龍頭文書54点、横川文書65点) 立石(区有文書301点、海安寺文書119点) 二村(二村文書2点) 色浜(区有文書328点) 白木(区有文書476点) 沓浦(山本文書1026点) 美浜町ー北田(区有文書25点) 竹波(中村文書107点) 次に、史料調査の結果について、その概要を述べる。敦賀半島の東西の地区、すなわち敦賀市と美浜町、を比べると、集落の数が東側10にたいして、西側4であることから、西側に残存史料が少ないのは当然であるが、西側が全体の一割にも満たないのは火災や人為的散逸の被害が大きかったことが推測される。 調査の結果、敦賀半島地域でもっとも古い文書は、延応元年(1239)散位信房下文(竹波中村文書)であるが、当時作成された確実な文書としては、正安3年(1301)気比神宮政所下文(手浦秦文書)がある。中世文書は約70点あり、近世近代文書は約3600点ある。 漁業史料は、天正元年立網竹波知行宛行状(竹波中村文書)、天正15年漁場争論(色浜区有文書)、慶長17年大網差止二付立石浦百姓中願事(立石区有文書)、寛永10年沓浦力禰大網得分等二付願書(沓浦山本文書)、承応4年秋網切上ケニ付一札(縄間斎藤文書)などの近世初期よりの文書がある。浦に関わる史料としては、塩生産やそれに関わる山林の史料も多くあり、敦賀半島集落の変遷を知ることができる史料に恵まれた。 この度の調査により、従来発見されていなかった文書が約1200点見いだされた。名子・二村・竹波の史料は新発見である。既調査の文書についても、再調査の結果、従来の文書目録に載せられていない文書を追加することができた。 今後は、この史料調査を基礎に、敦賀半島の歴史をまとめていきたい。
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