研究概要 |
カ-ル・ランプレヒトは、自然科学の方法を歴史に転用することによって、ドイツ史学を新しい軌道に引き入れようと試み、それによって1890年代後半を中心に史学方法論争が生じた。この論争に対して、ハイデルベルク大学神学部教授エルンスト・トレルチ(1865〜1923)も関心を寄せていた。どのような意味でこの論争は、彼の注目に値するものだったのであろうか。本研究ではこの点を考察し、第一次大戦前の彼の学問の一端を解明した。トレルチは1897,8年の宗教哲学・神学関係の学界展望において、この論争に言及し、ランプレヒトの二つの著作にいずれも否定的な評価を下している。これに対して1899年の学界展望では、ランプレヒトの論敵であるベ-ロの「新しい歴史的方法」と題する論文を取り上げ、共感を示している。ここで注目すべきことは、キリスト教の宗教史的研究によって必然的に生じてきたキリスト教の絶対的価値の動揺という問題意識が、これらの書物を取り上げる際の背景にあるということである。その際トレルチにとってベ-ロの立場も彼の宗教哲学的課題には充分ではなく、その点ではリッカ-トの見解が彼にとってより示唆的であった。1899年に論争は一応終りをつげたが、トレルチはこれ以後もランプレヒト陣営の研究成果に注目し、1909年にはランプレヒトの弟子ギュンタ-の著作への鋭い批判を試みここに論争がランプレヒトをも交えて再燃した。トレルチはここで、キリスト教のヨ-ロッパ史における役割と独自性・社会的条件に解消されないことを強調する。彼の主著『社会教説』が一書にまとめられた時、そこにランプレヒトの方法との対比において自らの方法について述べていることは重要である。その意味で、この方法論争に対するトレルチの態度には、トレルチの基本的立場が反映しているといえるであろう。
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