本研究によって明らかになったことは次の二点である。1.英国ルネサンス期演劇がその伝承を継承した中世道徳劇に「記憶術」特有の空間概念・形象を応用したものがあること、2.シェイクスピア劇の中に「記憶術」の主題を扱ったものがあること、劇の一場面が「記憶術」の装置となって劇の政治的文脈を浮かびあがらせるものがあること。第一の知見--中世演劇と「記憶術」の連関--についてはイェイツ(F.Yates)のダンテ『地獄篇』についての指摘--『地獄篇』は地獄と罰を、いろいろな段階の場所についての形象を使って記憶させるための記憶法--を採用したものである。たとえば中世道徳劇『堅忍の城』は神の慈悲による人間の救いを劇化したものであるが、劇が上演された野外円形劇場は「記憶術」の空間配置にヒントをえた舞台構造をもっている。堀に囲まれた舞台の中央に「堅忍の城」が立ち、舞台の北に「悪魔」(Devil)の櫓、北東に「貧欲」(Covetousness)の櫓、南に「肉体」(Flesh)の櫓、西に「現世」(World)の櫓、東に「神」(God)の櫓が配されていて「人間」(Mankind)は『地獄篇』のダンテと同じく、「善」「悪」「罪」が場所によって記憶される「記憶術」の宇宙を遍歴するてことになる。本研究の第二の知見--シェイクスピア劇と「記憶術」の連関--について二つの劇を例にあげる。『ハムレット』は、現王が破壊したハムレットの記憶に残る「楽園」を、「記憶術」によって回復する劇であり、記憶術の起源を語る逸話--倒壊した建物の下敷きになった遺体を人びとのいた場所から思い出すこと--を劇化したものといえる。『マクベス』の一幕三場の凱旋の場は、1559年にエリザベス女王の前で上演された「記憶術」を応用したパジャント--「真実は時の娘」の寓意を主題にしたもので、「時」「真実」の寓意人物、舞台の二つの丘と洞窟は「記憶術」の寓意の空間配列に着想をえている--を反映している。
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