研究課題/領域番号 |
01510275
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
英語・英文学
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
神尾 美津雄 名古屋大学, 文学部, 助教授 (50036430)
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研究期間 (年度) |
1989
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研究課題ステータス |
完了 (1989年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1989年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 不在 / シニフィアン / シニフィエ / インタ-テキスチェアリティ / クレ-ムワ-ル / 解体 / 未知 / 既知 |
研究概要 |
現代批評の知の体系を考察しているなかで、明確になったことが一つある。それは人間の理解を決定しているのは解釈というフレ-ムワ-クであって、本質はたえず遅延されて姿を現すことはないということである。言い換えれば、主体はそうしたフレ-ムワ-クの集合ないしは堆積でなりたっているともいえる。ここにおいて解釈の解釈が必要となる。つまり既存の知の「体系」の枠組みの構造性がどのにようにして、また何故そのような形で出現したかを問わなければならなくなる。本質はつねに「不在」として存在している。そして不在としての本質はついも他者として想定され、シニフィアンとシニフィエの作り出すインタ-テキスチュアリティの関係を束縛しているのである。そうした関係を典型的に示しているのがシェリ-の「モンブラン」の詩である。この詩は表面上モンブランの山を詠っている。しかしそのモンブランの超越的な姿はエクリチュ-ルとして成立しない。モンブランの超越的な意義は最後においてもなお明らかにならない。つまり超越性という他者は決して定義されえないままに、その意義は遅延され、かつ不在としてしか現前化されえない。シニフィアンとシニフィエとの関係が永遠に亀裂をなしていることこそが人間の認識の状況と密接な関わりをもつのである。つまりこうした認識の準拠は、別の言い方をすれば、人間はファミリアライズ(familiarize)するものと、デファミリアライズ(defamiliarize)するもとを巧妙に分割していることを示す。そしてデファミリアライズされたものは一方で不在の領域にいれられてしまう。この不在なるものが肥大化し人格化されたものだゴシック小説における悪として登場することになる。このようにして現代批評の抱える不在の探究は期せずして古典主義以後の知の領域のフレ-ムワ-クを踏襲していることが明らかとなってきたのである。
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