研究概要 |
本研究は、世紀転換期におけるプラハのドイツ文学を,都市プラハの地誌的社会的枠組によって明らかならしめることを,目的とするものであった。得られた知見を,期間中に発表した主たる論文の構想にしたがって要約すれば,下記のとおりである。 1.カフカの未完の小説『あるたたかいの記』(とくにその第一稿)には,認識論的,言語批判論的な問題意識が含まれている。それをおなじプラハ出身の思想家フリッツ・マウトナ-の言語批判論と比較することによって,カフカにおける唯名論から実在論への転位を跡づけることができる。 2.それはまた,チェコ人の大衆の海に浮かぶ「言語島」であったプラハのドイツ人,ドイツ系ユダヤ人の社会がおかれていた状況に関連している。都市論的な視点からすれば,それは,当時「衛生化措置」の名のもとに逐行されていた,ユダヤ人街を中心にした取り壊し作業,都市像の変貌の文脈において把握されうる。 3.「衛生化措置」は,同時にプラハ全市における上下水道の整備計画と連動していた。そこに貫徹されている衛生思想に対峙するかのようにマイリンク『ゴ-レム』,レッピン「ユダヤ人街の幽霊」,カフカ「変身」には,陰に陽に病気の隠喩があらわれる。それは,同時に16ー17世紀における「プラハ・マニエリズム」の伝統につながっている。 4.リルケの初期の詩・小説,カフカの『審判』には,墓地と石切場の形象が複合している。これをプラハ市の効外のトポグラフィにかさねあわせることによって,世紀末,世紀転換期におけるドイツ人,ドイツ系ユダヤ人,チェコ人の生活世界の様相が,その疎外態において明らかになってくる。
|