研究課題
特別研究員奨励費
本研究では、現代の北米社会において、厳格なキリスト教者であろうと努める宗教的少数集団「フッタライト(Hutterites)」を事例として、本来否定されるはずの「遊び」がいかなる理由により日常生活に受容されるのか、さらには遊びの文化維持機能とその構造について考察した。フッタライト社会では、遊びの全てが否定され排除されているわけではない。子どもの遊びであれば、それがフッタライト社会の一員としての役割習得に役立つとされれば奨励され、たとえ明らかに否定されているような遊びであっても、洗礼前の子どもであるために簡単な罰が与えられるだけで済まされる。また、大人の遊びに関しては、その遊びにフッタライト文化を維持する機能(例えば労働に必要な気力を養うためのレクリエーション的価値)が認められれば、「神を喜ばせる行為」として合理的な解釈により受容される。一方、若者たちの逸脱した遊びは「肉を喜ばせる行為」とされ「罪」に相当するが、この時期の遊びは黙認されることが多い。大人たちは若者たちの遊びを黙認することで、若者たちに罪悪感を生じさせ、そうした罪を洗礼直前の告白材料にさせるのである。罪の告白による浄化と新生という洗礼の過程を経ることで、内省を促し信仰心を深化させていく。次世代を担う若者たちの洗礼前の遊びには、信仰を再生産させる機能を持つ。揺らぎない信仰という基盤を構築することで、今後のフッタライト文化は維持されていくのである。外部社会から隔離し、限られた生活空間の中で教義に則した聖書的生活を基盤とするフッタライト社会は、ややもするとこうした環境に暮らす人々に抑圧感を与えかねない。しかし信仰の価値基準に則した遊びの解釈による受容で、人々は厳格なキリスト教的生活を受動的に過ごすのではなく、むしろ能動的に生活や文化の維持に関与していくことになるのである。またそうした能動的な生き方の実践が宗教的社会を常に再構築していると結論づけた。
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