研究課題/領域番号 |
02041018
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
羽田 正 東京大学, 東洋文化研究所, 助教授 (40183090)
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研究分担者 |
新谷 英治 京都橘女子大学, 専任講師 (20187561)
小倉 泰 東京大学, 東洋文化研究所, 助手 (80214104)
小牧 昌平 上智大学, 外国語学部, 専任講師 (30195838)
横山 正 東京大学, 教養学部, 教授 (80012417)
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研究期間 (年度) |
1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1990年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
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キーワード | イラン・イスラム都市 / イスラム庭園 / バ-グ / 墓廟 / モスク |
研究概要 |
本年の研究調査は、トルコ、イラン、インドの3国で行なった。羽田、横山がこの3国を順に回り、トルコでは現地滞在中の林佳世子(東大東洋文化研究所)、イランでは小牧、インドでは小倉がこれに参加した。以下、各国別に調査の概要とその結果を記し、その後で全体の成果、今後の研究計画について述べることにする。 トルコ:イスタンブルの都市空間において庭園がどのような位置を占めたのかを知ることを主たる調査目的とした。都市を歩き、都市の内外の庭園を実際に訪れて調査した結果、1.イスタンブルをトルコ都市の代表として考える限り、トルコでは庭園は王候のためのものであり、イランのバ-グに相当する都市郊外の庭園兼果樹園の存在は見られなかった。2.今日のイスタンブルに見られる庭園の多くは、19世紀以後のものであり、近代ヨ-ロッパ庭園の影響を受けている。イスタンブルにおけるイスラム的庭園の伝統は、トプカプ宮殿の内廷などごく一部に見られるにとどまる。3.都市住民の憩いのためにの空間として庭園に代わって、モスク、墓廟の中庭の存在が無視できない。4.イスタンブルとブルサを比較すると、都市プラン、空間の機能、建築物の役割など様々な点で相違が見られ、今後、トルコの地方都市の空間構造解明が必要である、などの点が明らかとなった。 イラン:テヘラン、エスファハ-ン、シ-ラ-ズ、ヤズド、カ-シャ-ン、カズヴィ-ンの都市形態、諸建造物の配置と機能、庭園の分布などが調査の主眼となった。イラン都市の共通の特微として、1.郊外のバ-グ(庭園兼果樹園)の存在、2.金曜モスク、又は大モスクを中心とし、これにバ-ザ-ル、隊商宿、マドラサなどが加わった複合的宗教、商業空間の存在、が指摘された。また、イスラム庭園の原形が作られたとされるイランにおいても、古くからのプランをそのまま保った庭園はほとんどないこと(現存する最古のは17世紀に作られ、その後様々な改変が加えられている)、従って、ヨ-ロッパ庭園との相互関係を考える際に、現在のイラン庭園を基準とすべきではないかとも確認された。イランにおいても、都市空間の中で、モスク、マドラサ、聖廟など宗教建造物は、重要な機能を有しており、その社会的役割、空間構造の解明が必要である。 インド:調査地は、デリ-、ア-グラ-のみであり、調査期間も短かったため、次回の本調査のための予備調査的なものとなった。それでも、問題を庭園と都市空間だけに限っても、中東イスラム世界と比較して、多くの研究材料が存在することが理解された。その主なものとして、以下の3点を挙げておく。1.デリ-(シャ-ジャハ-ナ-バ-ド)は、元来イラン的「イスラム都市」として建設された筈であるが、現在そのプラン、性格は当初とは全く変わっている。 その変化の経緯をあとづけることにより、インドにおけるイスラムの変容の一面を捉え直することが可能となろう。2.北インドの庭園は、君主の墓廟をその中心に置いた巨大なものが多い。これとイラン・イスラム世界におけるバ-グとの相互関係はいかなるものであるのか。3.北インドのモスク、聖廟は、基本的にはイランから輸入されたものであるのに、その建築プラン、都市内部での機能は、イランのものとは大幅に異なっている。その変容の過程、意味を考えることは、両文化圏の特微を理解する際に重要である。 本研究は、事実上来年度以降も継続するため、その成果はまだ部分的にしか発表されていないが、昨11月22日には、新潟市における公開講演会で、羽田、横山、小牧、小倉の4名が、それぞれ今回の調査の成果をスライドを交えて、一般に公開し、その模様は、新潟テレビで放送された。 前近代のある時期(およそ12〜15世紀)には、イラン文化圏が大きく広がり、今回我々の調査した3国の大半を覆っいた。庭園文化も含めた都市文化が、その後各地でどのように変化していったのか、影響はどの程度残ったのかを見極めることが、今日の各国の文化を考える場合に重要である。そのためには、もう一度イラン文化の根幹を理解し直すとともに、それとトルコ、インド文化との接点を調査することが必要となる。我々の調査は、装いを新たにして、平成3年度以降継続するが、平成4年度には、トルコ、イラン国境の東アナトリアトイラン領アゼルバイジャン、再度北インドの調査を予定している。
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