研究分担者 |
鈕 仲〓 中国科学院, 地理研究所, 教授
瞿 寧淑 中国地理学会, 秘書長, 教授
陳 橋驛 杭州大学, 地理系, 教授
原 秀禎 大阪商業大学, 商経学部, 助教授 (80121614)
河島 一仁 立命館大学, 文学部, 助教授 (90169714)
加藤 瑛二 名城大学, 教職課程部, 教授 (30121495)
CHEN Qiao Yi Prof., Dept. of Geography, Hangzhou Univ.
NIU Zhong Xun Prof., Institute of Geography, The Academy of Sciences of China
QU Ning Shu Secretary-General (Prof.), Geographical Society of China
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研究概要 |
本研究は,日本文化の発達と深い関わりをもつ中国での,伝統工業の生産技術の発達過程,立地の形態と構造,さらに,日本の当該技術の発達との関連性などを把握することが,主たる目的であった。本年度は中国史の上で,一つの先進地域を形成した揚子江下流域東部を主要な研究地に当てた。専門分野ごとに実施した調査研究の概要を次に示す。 まず,製塩技術面(富岡儀八)では,先進地域の杭州湾岸・舟山列島諸地域を主たる対象地として考察した。文献上でのその概要把握は,ほぼ元代まで遡ることが可能である。浙西では主に灰淋法,浙東では土淋法が利用され,かつ,鹹水の煎熬には,前者は鋳鉄片・鉄片をそれぞれ組み合わせた盤あるいは竹蔑盤を利用し,後者は竹蔑盤が広く使われた。これらの製塩技術は,ほとんど大きな変化をみないまま,明・清・民国(初期)時代へと踏襲されたが,天日を利用して鹹水を結晶させる板〓法が,清代の乾隆嘉慶年間(1736〜1821)に岱山で創始され,(一説に福建省から導入)漸次,杭州湾岸地域へも波及した。上にみた灰淋法や土淋法などによる淋漏法での攤場(灰場)の築造法や採鹹工程は,ともに日本で近世初頭頃から始められた入浜式塩田法と酷似している。さらに,鹹灰や鹹土を濾過する漏碗を形態や構造などから分類すると,餘姚型・黄湾型・海沙型・蘆瀝型・舟山型などに大別できるが,その形態や呼称に若干の地域差は認められるものの,淋漏原理は共通している。すなわち,方形あるいは円形に積み重ねて築造した粘土碗の底部を固め,その中央部に小穴を開け,漏碗の外側に堀られた小型の鹹缸と竹管で結ぶ。底部には稲藁を敷き結め,鹹灰や鹹土を漏碗内に入れて濾過する際の助けとした。この淋漏の原理および漏碗の形態や規模などは,日本の入浜式塩田法の沼井・小壷の関係と全く酷似している。また,鹹水の濃度測定法に蓮管秤が広く利用されたが,九州地方に明治期までその方法を用いた痕跡が認められる。 なお,地域性を知る一つの指標となる,塩は神聖で清浄なものとする慣習(瞿寧淑)は,浙江・江蘇省から甘粛省を経て新疆に通ずる,いわゆるシルクロ-ド沿いに密に分布し,むしろ,日本の草創期の伝統文化と強い共通性や類似性が認められるとする西南部の諸州には全くみられない。 江蘇省における伝統的鍛治業(河島一仁)は,南京・揚州・興化・無錫において調査を実施した。ここでいう鍛治業は経営形態面では個人経営の鉄匠と農機廠あるいは農具廠などと呼ばれる工場生産とに大別できる。前者では,夫婦・親子が主要な作業単位を形成しており,社会主義体制下においても地域の需要に応じる重要な手工業である。解放後の集団化の過程で発展してきた後者の場合,興化では郷鎮工業として発達している。ここでも,夫婦・親子が主体をなす。両者の生産技術上で共通するのは,火床に対して鞴が右側におかれていることと,作業が立ち姿勢で行われる点などである。これらは,日本・韓国とは全く異なる形態である。つまり,東アジアの鍛治技術は,中国型と日本・韓国型に大別される可能性が強い。 陶業立地(加藤瑛二)では宜興・景徳鎮・水吉などを研究地とした。伝統的陶業の発達過程をみると水運依存の傾向が強い。古窯址は河川沿いに立地するものが多く,いずれも燃料・原料の条件や窯築造に有利な傾斜地をもつ自然的条件を満している。また,原石を粉砕して使用する技術や独自の窯構造なども日本陶業との大きな相違点である。現代の陶業の立地は,宜興や景徳鎮などの伝統的陶業地に集積するものと地方に分散して単独立地の形態をとるものとに大別できる。絹織物業(陳橋驛)は,蘇州・無錫・杭州・上海などを研究対象地としたが,繭の生産地域と伝統技術の集積との関連から,地域的に発達形態が異なる。酒造業(鈕仲〓)は,沙城・民権・紹興などを研究地としたが,原料の種類・微生物の繁殖に関連する気候条件・水質などによって各地域に特有の酒造業が立地する。 このうち,日本の伝統技術とは,製塩技術面でかなりの類似点をみるが,鍛治業・陶業などでは認められない。今後,現地調査を重ね,伝統産業の立地形態の地域性の把握とともに,日本の当該技術との相違点や歴史的関連性などを究明していく方針である。
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