研究分担者 |
牧野 久実 民族学博物館, 外来研究員
日野 宏 天理大学, 付属天理参考館, 学芸員
山内 紀嗣 天理大学, 付属天理参考館, 学芸員
桑原 久男 天理大学文学部, 講師 (00234633)
市川 裕 東京大学文学部, 助教授 (20223084)
月本 昭男 立教大学一般教育部, 教授 (10147928)
置田 雅昭 天理大学文学部, 教授 (50248176)
定形 日佐雄 プール学院短期大学, 教授
清重 尚弘 日本ルーテル神学大学, 学長 (50097143)
石川 耕一郎 昭和大学, 教養部, 教授
小川 英雄 慶応義塾大学, 文学部, 教授 (30051379)
牧野 久美 慶応義塾大学, 大学院, 大学院生
定形 日佐男 プール学院短期大学, 英文科, 教授
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研究概要 |
エン・ゲヴ遺跡はイスラエルの北東部,ガリラヤ湖の東岸に位置する。海抜標高はマイナス約200mである。遺跡の東にはゴラン高原が迫る。このエン・ゲヴ遺跡は東西120m,南北250mほどの範囲で高まりになっているが,高さが5mたらずで,典型的なテルとはいえない。遺跡の北端が最も高く,これまでからアクロポリスあるいは城塞であろうと推定されていた。1961年には小規模ながら,第1回目の発堀調査がB・マザールらイスラエル考古局のメンバーによって,行われ,その結果,この地には紀元前10世紀前半期に城壁をめぐらせた都市が建設されたことが明かとなった。この上層には紀元前8世紀前半までの間に5層が累積している。 今回の3カ年にわたる調査では遺跡の北端,すなわちアクロポリスと推定されている高みの東斜面を中心にトレンチを設け,合計487m^2を発堀した。その結果,鉄器時代に属する2層,ヘレニズム時代の1層,およびそれ以後の1層をあわせて4つの文化層が確認できた。 ヘレニズケ時代以降の遺構としては,建物の基礎にあたる石積みの列で,長方形あるいは方形区画した建物が見いだされた。石列は幅約80cm,高さ約50cmほどのものが普通である。これらの石列は磁北より東に約17度振れている。当時この近くにあったデカポリスに1つ,古代都市ヒッポスとの関係も考えられる。 鉄器時代の建物として重要なものの1つは列柱式建物である。すなわち,石積みの基礎石列で区画した東西に長い平面長方形の建物の中に,長軸方向に2列の石柱列を並列して3区分した形式のものである。建物の大きさは長さ17.5m,幅9.2mある。こうした建物と同大の建物が南側にもう1棟並置され,やや薄い隔壁で区分されている。建物の方位は磁北より東に約22度振れる。両方の建物の石柱列は元は1列につき9本づつの石柱が立っていたとみられるが,遺存しているのは合計19本である。石柱には石灰岩を用い建物の石列に玄武岩が用いられているのと対照的である。石柱は方柱状で,高さ約1.2m。1石で構成されるものと2石を積み重ねて高さを揃えたものとがある。この列柱式建物は出土土器から紀元前8世紀のものと考えられている。さらに部分探査により,この建物の下層にも石柱列が見られることから,下層にも同様な列柱建物が埋っているとみられる。しかし,上層の建物跡を保存する必要があり,調査期間に制限があったため,広い範囲にわたって確認できていない。 一方,トレンチ東端で南北方向の巨大な石積みが2列見いだされた。これは二重の壁によって構成したケースメト・ウォールと呼ばれる城壁と考えられる。調査では少なくとも10mにわたって連続していることを確かめた。積まれた石材は約50cmの大きさのものが多い。この壁はそれぞれ幅1.8m,高さ3.3mはあり,両方の壁の間隔は下部で1.5m,上方で1.8mある。また,両者の間の底には石が敷かれている。城壁の外側は,壁の石積みを守る様に土を斜めに盛り上げたランパートが形成されている。城壁の外面から壁に沿って80cmの幅で犬走り状の礫敷きが施されていた。さらに,土層断面の観察より,城壁外面には漆喰を塗っていたことが分かった。城壁の時期は紀元前10世紀に比定しうる。城壁外面の漆喰塗りが確認できたのは,パレスチナ考古学上重要な成果である。 以上にように,この遺跡は紀元前10世紀に建設され,ヘレニズム時代以降まで続いていたことが分かった。特にケースメト・ウォールは当時の重要な城塞都市のみに築かれていたものである。エン・ゲヴがアラムに対しての前線基地の役割もはたしていたことを物語っている。また,列柱式建物は,これまでイスラエル国内では11遺跡でしか見つかっていない。しかも既知の遺跡のいずれもがそれぞれの地域における拠点的な都遺跡である。この点で対アラムの基地として建設されたとみられるエン・ゲヴも重要な都市であった。エン・ゲヴは紀元前8世紀まで存続し,おそらくアッシリヤのティグラト・ピレセルIII世によって滅ぼされたと推定される。エン・ゲヴ遺跡が旧約聖書の列王記に伝える古代都市アフィックにあたるであろうことはすでに聖書地理学的研究により,Y.アハロニーが指摘しているが,今回の発堀によってその推測をほぼ確定したといえる。
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