研究課題
国際学術研究
日本DNAデ-タバンク(DDBJーDNA Data Bank of Japan)は、現在、国立遺伝学研究所・遺伝情報研究センタ-・遺伝情報分析研究室の研究事業として、活動が行なわれている。DDBJは、昭和61年4月より、DNA配列デ-タの収集を目的として業務を開始し、昭和62年5月以来、アメリカ合衆国のGen Bank及び欧州のEMBLデ-タライブラリ-の両デ-タバンクとの連携による国際協力事業として、DNAデ-タベ-スの分担共同構築をすすめている。この研究事業の運営に関する諸々の助言は、国内的には国立遺伝学研究所DNAデ-タ研究利用委員会(委員長・石浜明・遺伝研教授)によって行なわれ、国際的にはDNAデ-タベ-ス国際諮問委員会が年1回、アメリカ合衆国・ヨ-ロッパ・日本の持ち回りで開催される。この国際諮問委員会では、3つの国際DNAデ-タバンクのDNAデ-タベ-ス共同構築作業やデ-タバンク活動について、諮問や勧告を行なうことになっている。国際諮問委員数は、アメリカ合衆国3人、ヨ-ロッパ3人、日本2人である。前年度の第3回国際諮問委員会議が3月10日〜19日(1990年)に三島市で開催された。本年度の第4回国際諮問委員会議は、アメリカ合衆国ワシントンDCで、3月11日から25日(1991年)にわたって行なわれた。この日程は、関連打合せ会議を含めたものである。DDBJとしては、舘野義男・遺伝研助教授、斎藤成也・遺伝研助教授、林田秀宜・遺伝研助手・鵜川義弘・遺伝研助手が本研究に基づいて出席した。また、日本側の国際諮問委員の2名としては、内田久雄・帝京大教授及び金久実・京大教授が出席した。アメリカ合衆国のGen Bankから8名、アメリカ政府から多数の行政官が参加し、ヨ-ロッパからもEMBLデ-タライブラリ-から7名、EC(ヨ-ロッパ共同体)の関係役人等多数が出席した。また、オブザ-バ-として、アメリカ合衆国の他の関係するデ-タバンク担当者等、総勢約80名が集合しての国際委員会であった。右国際DNAデ-タバンクの報告の中で、DDBJは本年度の活動と研究事業の概要を詳細に説明した。特に、本年度は、今までDDBJの責任者であった宮沢三造・遺伝研助教授から新しいDDBJスタッフへ、体制の移行が行なわれため、国際的に日本がDNAデ-タバンク研究事業にどういう姿勢で参加して行くかが大きな注目の的となった。このため、DDBJ側から本研究に基づいて4名の担当教官が出席したことは、日本がDNAデ-タバンク事業を今まで以上に重要視しており、非常な決意をもって続行していくことを示すこととなり、アメリカ合衆国やヨ-ロッパから高い評価を受けた。湾岸戦争という政治的混乱が国際社会に生じ、その影響でこの国際諮問委員会の日程も開催直前に決定されるという事態であった。また、普通は国際諮問委員会の前に、今回ドイツのハイデルベルグで行なわれる予定の実務者会議も延期されたりしたが、この国際諮問委員会の開催で、そしてDDBJからの出席と日本側諮問委員の参加ということで、この研究分野における日本の国際的面目を保つことができたと考える。また、関連打合せ会議を通じて、貴重な情報交換も行なわれ、日本のDDBJの研究事業や広く日本の関係研究者に非常に有用な効果をもたらすことができたと思われる。