研究分担者 |
NICOLAS PETE オーストラリア国立大学, 先史・人類学部, 教授
MARGARET WES ノーザンテリトリー科学美術博物館, キューレーター
KIM AKERMAN ノーザンテリトリー科学美術博物館, キューレーター
JON ALTMAN オーストラリア国立大学, アボリジニ経済・文化研究所, 所長
CHRISTOPHER アンダーソン 南オーストラリア博物館, キューレーター
窪田 幸子 大阪外国語大学, 外国語学部, 非常勤講師
松本 博之 大阪教育大学, 教育学部, 教授 (70116979)
細川 弘明 東京外国語大学, 外国語学部, 講師 (70165554)
小山 修三 国立民族学博物館, 第4研究部, 教授 (70111086)
久保 正敏 京都大学, 大型計算機センター, 助教授 (20026355)
岡田 康伸 京都大学, 教育学部, 助教授 (90068768)
WEST Margaret Culator. Museum and Art Galleries of the Northern Territory
AKERMAN Kim Culator. Museum and Art Galleries of the Northern Territory
ALTMAN John Head. Institute of Aboriginal Economy and Culture
ANDERSON Christopher Culator. South Australian Museum
KOYAMA Shyuzo Professor. National Museum of Ethnology
PETERSON Nicolas Professor. Australian National University
WEST Margare ダーウィン博物館, キューレーター
ANDERSON Chr 南オーストラリア博物館, キューレーター
ALTMAN Jon オーストラリア国立大学, 太平洋地域研究所, 助手
SCULTHOPE Ga ビクトリア博物館, キューレーター
PETERSON Nic オーストラリア国立大学, 先史・人類学部, 教授
板良敷 敏 長崎大学, 教育学部, 助教授 (30223077)
DAVIDSON Gra ダーウィン技術大学, 芸術学科, 教授
EDWARDS Robe ビクトリア博物館, ディレクター
LOVEDAY Pete オーストラリア国立大学, 北オーストラリア研究所, 教授
|
研究概要 |
この研究は,狩猟採集民としてのオーストラリア・アボリジニ文化に関する物質文化をはじめ,絵画や言語を含む各種の資料や映象資料などの民族学資料をオーストラリアの博物館その他の機関において調査し,かつ国立民族学博物館が収蔵する現代アボリジニの民族学資料との比効分析をとおして,彼らの文化の全体像の構築を目的とする。 初年度(平成2年度)には,東部および中央オーストラリアにおいて,資料の調査と分析につとめる一方,日本とオーストラリアの双方で研究集会を重ねた。その結果,今回対象とした東部および中央地域における1960年までの民族学資料については,言語を指標として高い同質性をもつことが指摘されてきたが,しかしそうしたいわばアボリジニ文化としての統一的な把握は訂正されるべきであるという見通しを得た。むしろそうした理解は,国立民族学博物館が収蔵する1980年代以降の民族学資料について適用されると考えるべきであろう。つまり,各種の資料による限り,この20年間にアボリジニの伝統文化には大きな転換があったとみられ,それをもたらしたのが,国家によるアボリジニ政策のほか,ツーリズムと現金経済の浸透であったと考えられる。 次年度(平成3年度)においても日本とオーストラリアの双方で研究集会を開催するとともに,資料調査の中心を北部駟中央部と西部にひろげて研究を実施した。その結果,北部においてはツーリズムと現金経済の浸透による伝統文化の変容が著しい一方で,中央部から西部にかけての広大な乾燥地域においては,第二次大戦の直前に崩壊した居留地制度(アボリジニを集住させ,白人社会への同化を促進するための「教育」をおこなう制度)の影響,および1970年代以降における地下資源の新たな開発に伴う諸施策が,この地域の文化により直接的な影響を与えてきたことが明らかになった。ただし,この地域では1980年代以降の20年たらずの間に,約40万平方kmにたっする土地が「アボリジナル・ランド」として彼らに返還されており,アボリジニ自身の手による新たな社会への対応と適応が模索されはじめており,言語の保持がその重要な1つとしてとりあげられてきている。 最終年度(平成4年度)もこれまでと同じく両国において研究集会を開催するとともに,1960年代中頃から本格化したアボリジニの都市集住の過程とその後における都市居住アボリジニの文化に焦点をしぼって資料調査をおこなった。現在,オーストラリア東南部と西南部のメトロポリタン駟エリアには2-3世代にわたってアボリジニ総人口の約8割,20数万人ほどが居住しており,そのほとんどの人びとはすでに混血をかさね,白人社会になかば吸収される形で生活してきた。その結果,彼らは独自の言語をはじめ生活習慣のことごとくを喪失し,自らが幼児期から成年期にかけて受けたキリストと教会各派の教育にもとづく価値観に大きく依拠している実情にある。その一方で80年代以降,自民族文化の復活・復元活動を活発に開始し,アボリジニの出自をもつこと,およびアボリジナリティと彼らがよぶマナーや行動の総体としての生活スタイル,さらには祖父母の出生言語グループとそのかっての居住地に強い愛着をもち,これらを自己存在の証明にしようとしている。その結果,一部の人びとの間で,音楽や舞踊を中心にした新たな民族文化の形成運動がおこりはじめている。しかし,物質文化に関しては,かつて「貧しい白人」と称された70年代同様,今日においても白人中間所得層との間にきわだった差異は認められていない。 総括 今日,かつての狩猟採集民オーストラリア・アボリジニの社会においては,北部を中心にする伝統保持型の社会と東南部および西南部の都市社会に居住する人びとに大きく2分されており,汎アボリジニ主義が謳歌される一方で,両者の間のギャップはひろがってきているとの認識を得た。この両者は,多元文化主義をかかげるオーストラリア社会において,アボリジニにかかわる2つのエスニシテイのあり方として,あらたな考究が必要だと考えている。その比較研究のため,最終年度末に3名の研究協力者をニュージーランドとオーストラリア(うち1名は後者のみ)へ派遣した。
|