配分額 *注記 |
8,000千円 (直接経費: 8,000千円)
1992年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1991年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1990年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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研究概要 |
環境汚染のタイムカプセル″樹木の内蔵樹皮と内蔵コケ植物″の発見 環境汚染の指標植物としてコケ植物がしばしば用いられる。例えば樹木の樹皮上に着生しているコケ植物がそれである。様々な地域,例えば汚染地域やバックグラウンド地域に分布するコケ植物を採取し,その化学成分を比較し,汚染の度合いを比較するというやり方がそれである。このやり方でわかるのは主として″汚染の分布″である。 それでは汚染の時間の変化の方はどうであろうか。過去から現在にいたる環境汚染の変化を知るためには過去に採取された標本が必要である。このような標本として活用できるものは例えば博物館に保管されている標本で,数十年ほど前までのものは比較的数も多い。このような標本は貴重なもので,現在の汚染と比較検討するため,そのように保存されている標本を活用することは十分可能性のあることである。しかし,たとえこのような標本を用いたとしても,さかのぼれるのはそのような標本収集が盛んになったせいぜい100年ほど前までである。それではそれより更に過去の汚染については知るすべがないのだろうか。 よく知られているように今日の環境汚染が世界的規模で進行すようになったのは産業革命以後のことである。産業革命以前の地球の汚染の状態を年代を明確にして知るすべはないのだろうか。実はその手がかりになりそうなたいへん興味深い試料が,ほぼ200年前の貴重な試料が私達によって発見されたのである。 その試料が発見されたのは杉の産地として有名な屋久島である。屋久島産の杉の伐採はいまでも続けられているが,その一本の杉に興味深いものがあった。伐採されたその杉は樹齢226年のもので,その幹の断面には樹齢20年の時に受けた大きな傷跡が残されていた。杉は損傷を受けた場合,その傷を包み込むようにして徐々に樹皮が,1年1年成長して行く。樹皮が樹齢20年の時に受けた傷を完全に包み込むためには更に23年の月日を要した。 43年経た後にこの杉はなを新たな成長を続け,包み込まれた傷の外側には新たな年輪が年毎に形成され,傷はすっかり外からはうかがい知ることのできない状態になった。このようにして外部から完全に包み込まれ閉ざされた杉の傷の中にたいへん興味深いものが残されていたのである。それは樹皮の表面に着生していたコケ植物である。まるでハート型のくぼみの中に樹皮と樹皮の間に挟まれで残されていたコケ植物は確かに226-43年前つまりおよそ183年前にそこに,樹皮表面に着生していたものである。 はじめに述べたように,現在樹皮の表面に着生しているコケ植物が現在の汚染の状況を反映じているとすれば,この183年前に同じ杉の樹皮表面に着生していたコケはその当時の183年前の汚染の状況を反映していたはずである。今から183年前,それは江戸時代1810年の頃である。産業革命の余波もなく,それこそバックグラウンドといってよい時代のその年代の明確な試料が手に入ったのである。 このような貴重なコケ植物試料および内蔵樹皮について,特に鉛に注目して個体試料原子吸光法を用いて分析した結果は極めて興味深いものであった。例えば屋久島との比較のため同時に分析を行った日光杉(日光杉並木より採取)の外樹皮の鉛濃度が40-150ppmであったのに対し,現在屋久島に分布する屋久杉の外樹皮の鉛濃度は約1.5ppmで約100分の1の値を示し,屋久島が日光(今市)よりも汚染度が低いことを示していたのに対し,屋久島で発見された183年前の内蔵樹皮の鉛濃度が0.2ppm,樹木内蔵コケ植物(カガミゴケBrotherella henoii)の茎葉体の鉛濃度は0.3ppmであった。また,現在の屋久島に分布するカガミゴケの茎葉体に含まれる鉛濃度は25ppmであった。つまり,これらの結果は183年前の屋久島の汚染の状態は現在の屋久島の汚染の状態の少なくとも数分の1であること,並びに内蔵樹皮および内蔵コケ植物が環境汚染のタイムカプセルとして極めて重要であることを示している。
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