研究課題/領域番号 |
02225111
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研究種目 |
重点領域研究
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 中部大学 |
研究代表者 |
畑中 幸子 中部大学, 国際関係学部, 教授 (00019340)
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研究分担者 |
秋道 智彌 国立民族学博物館, 第1研究部, 助教授 (60113429)
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研究期間 (年度) |
1990
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研究課題ステータス |
完了 (1990年度)
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配分額 *注記 |
1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1990年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
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キーワード | ツアモツ群島 / アイランド・グル-プ / レアオ / マンガレヴァ / イ-スタ-島 / ポリネシア人移住 / 漂流 / 環礁 |
研究概要 |
ツアモツ群島東南端に孤立したレアオ・プカルア両島が群島中、人類学的にユニ-クな存在であることは古くから衆目の一致するところであった。レアオには血縁集団毎に儀れに使用された遺跡が40ケ所以上に及び、かなりの人口が予想された。100年余りの出生・死亡・婚姻に関する記録と共にフィ-ルドワ-ク時に作成した家系図から一世紀にわたる人口の動態を考察した。従来のように考古学や言語学の研究に依存して仮説をたてるのではなく、実際の人の動きから移住を論ずるのである。 先づ、アイランド・グル-プを設定してその中での移動を考察した。その結果、東ポリネシアではポリネシア人の東方への移動が直接的になものではなく、アイランド・グル-プ内で往来を重ねつつ徐々に東へ向かって移動していったことが明らかとなった。1834年、カソリック・ミッションのマンガレヴァ上陸以来、レアオとマンガレヴァの往来があったことは、レアオ島民が3〜4世代前の祖先をマンガレヴァ及びイ-スタ-島にもつ者が多いことから判明した。環礁できびしい生活をしていた人びとにとって最寄りの唯一の火山島はマンガレヴァであった。一方、マンガレヴァでは、地方毎に抗争が絶えず戦いに破れ四散した人びとが殺りくを逃れツアモツ群島東南部の環礁に漂着したことはFr.LavalやPeterBuckにより報告されている。19世紀後半まではレアオ・プカルア両島民がマケモ,ルルツからの漂流者を除き接触していたのはマンガレヴァ及びイ-スタ-島民であったことは大きな発見であった。今回の研究でポリネシア人の移住を論じるにあたって巨規的にとらえるだけでは科学的論証がえられないという結論をえた。 1960年以来、コプラスク-ナの来島頻度の増加、核実験の観測基地となり軍隊の駐留により温血の増加は、レアオ島の人口構成を急激に変貌させたのである。
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