研究課題/領域番号 |
02301098
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研究種目 |
総合研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
建築史・建築意匠
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研究機関 | 大阪市立大学 |
研究代表者 |
谷 直樹 大阪市立大学, 生活科学部, 助教授 (40159025)
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研究分担者 |
増井 正哉 京都大学, 工学部, 助手 (40190350)
内田 九州男 社団法人部落問題研究所, 研究員 (10158777)
相蘇 一弘 大阪市立博物館, 研究副主幹 (90110072)
鎌田 道隆 奈良大学, 文学部, 教授 (40140470)
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研究期間 (年度) |
1990 – 1991
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研究課題ステータス |
完了 (1991年度)
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配分額 *注記 |
2,800千円 (直接経費: 2,800千円)
1991年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1990年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
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キーワード | 近世大坂 / 都市空間 / 都市居住 / 都市景観 / 建築史・都市史研究 / 町式目 / 共同施設 |
研究概要 |
さまざまな評価があるにせよ、近世においてはいわいる「町」共同体がある程度の自治権をもち、住民管理、共有地・共有施設の管理、近隣関係調整等に代表される居住地管理の中心的役割をになってきた。上位組織であった惣町・組町、さらには幕府・藩等の権力組織は、大規模な工事をのぞいては、居住地の管理にはほとんど関与していない。 近代都市においては、近世的自治の後退、共有地概念の変容とともに府・市が納税負担の代価として、道路管理、住民管理等をはじめ、居住地管理のサ-ビス化がすすんだ。その過程で、中間組織としての「戸長役場」、「学区」のはたした役割も重要である。 本研究は、近代都市が制度的にも形態的にも本格的に整備される江戸後期から明治中期までを「成立期」と定義して、大阪・京都における「町」「学区」関係資料の分析を通して、「町」がもっていた管理機能がどのように変化したかを明らかにした。 すなわち、明治に入って、「町」のもっていた機能のうち、住民管理機能が「戸長役場」に引き継がれたが、近隣関係調整機能は「町」に残った。また明治5年町会所は廃止され、各区に会議所を設けることになり、京都の祇園祭山鉾町のような特別な例をのぞいて、町会所等の共有施設は廃止された。明治19年、戸長は廃止され一切の職務は区長に引き継がれた。しかし、市や区では、範囲が広すぎることもあって、行政と市民の日常生活をつなぐ身近な地域組織として、小学校の通学区を単位とした学区が機能した。学区は小学校経営の単位であり、財産区の性格も併せもったが、衛生管理など身近な居住環境の管理には学区単位でつくられた組織が大きな役割をはたしていた。
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