研究課題/領域番号 |
02401011
|
研究種目 |
一般研究(A)
|
配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
考古学
|
研究機関 | 三重大学 |
研究代表者 |
八賀 晋 三重大学, 人文学部, 教授 (80000470)
|
研究分担者 |
勝山 清次 三重大学, 人文学部, 助教授 (30126966)
酒井 一 三重大学, 人文学部, 教授 (40081137)
|
研究期間 (年度) |
1990 – 1991
|
研究課題ステータス |
完了 (1991年度)
|
配分額 *注記 |
2,500千円 (直接経費: 2,500千円)
1991年度: 2,500千円 (直接経費: 2,500千円)
|
キーワード | 伊勢鈴鹿関 / 東内城 / 西内城 / 大和街道 / 伊勢別街道 / 東海道 / 土塁跡 / 東木戸 / 西木戸 / 久我道 / 内郭 / 外郭 |
研究概要 |
伊勢国鈴鹿関の研究の基本となる縮尺千分之ー地形図4面を作成し、現地形の分析・現存する遺構、古道、残存呼称を通じて、奈良時代の関の実態を究明するのが本研究の目的である。 1関の位置と四至 律令三関のうち鈴鹿関は、近世東海道関宿の一帯で、鈴鹿関の立地は次のようである。 a、北面は鈴鹿山系の一つで、東西に延びる観音山の山岳によって閉される。東北側は高さ13mの小野川の断崖となる。南面は西部では標高145mの城山がそびえ、東部は鈴鹿川の断崖(約10m)が形成され台地を画す。台地の東端は鈴鹿川と小野川の両崖によって幅100mと極端に狭められる。また西端は南北の山岳によって幅40mの鞍部となる。さらに台地の中央は谷地形となり東西二地区に区分される。台地の両端間の距離は18kmで、この内に東海道が貫通する。 なお、西部の南北両山岳の尾根上には土塁が遺存する。 b.関の東端は俗称「東木戸」が位置し、東海道と伊勢別街道の分岐点となる。西端は「西木戸」で、東海道と大和街道の分岐となる。台地の中央谷縁辺に沿って久我道を設定する。関は自然の要害の地を選定し、その外方に古道が接続する。 2 地形からみた鈴鹿関の特色 『続日本紀』によると、鈴鹿関には西内域と東内域の存在がうかがわれる。地形上および遺構から、関の台地の西部は土塁をめぐらした防衛的性格の強い施設、東部域には正庁を含む官衛群という二つの役所施設から関が成り立っている。これは、美濃不破関と異なった形態で、初期の関が後に律令三関として整備されてゆく過程を具体的に示すものでもある。
|