研究概要 |
『ヒポクラテス集成』を通して古代ギリシア社会のエ-トスの問題を考える研究を,主として歴史家トゥキュディデスとの対比を中心として多年継続して来た。「トゥキュディデスとヒポクラテス」ーその5(1991)は,この問題に関する1980年題の内外の研究動向をめぐって,私なりの総括と,これまでの自分の研究の反省を行ったものである。最近の研究は,いわば新しい懐疑主義の再生とみることができる。分析・比較の方法の細密化が,時として「木を見て森を見ない」先行学説への不毛な批判におちいることの危険を指摘したつもりである。しかし文化人類学等の複眼的視角から,社会における病の流行,とりわけ対人感染,免疫などの問題を考えるという,従来の私の研究ではあまり重視していなかった観点から刺激をうけた。とりわけ古代ギリシアでミアスマ(穢れ)とよばれた観念が,宗教的タブ-の領域のみならず,法・道徳思想の世界における罪と罰の問題とも深くかかわっていることを発見した。「トゥキュディデスとヒポクラテス」ーその6(1992)では,初心に帰って,トゥキュディデス第2巻のアテナイの大疫の記事を,『ヒポクラスス集成』と対比して考察し直したつもりである。この結果両者ともに,病の流行・感染・免疫をミアスマの観念と関連させることを,意図的に避けていることを指摘することができた。他方同時代の悲劇詩人の作品の中では,この観念は災悪の原因として,もっとも重大なものの一つとされている。この落差が何を意味するがを理解することが,古代ギリシア社会のエ-トスを考察するうえでの当面の研究の課題となることを確認した。
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