研究概要 |
大正7年1月に創立され,10年余の間に都合7回の展覧会を開催して昭和3年7月に解散した京都の作家集団・国画創作協会については,その創立会員であった小野竹喬,榊原紫峰,土田麦僊,野長瀬晩花,村上田弁次,浅野竹二,畦地梅太郎,石川利治,猪原大華,甲斐荘楠音,梶原緋佐子,要樹平,川上澄生,川西英,小松均,酒井三良,吹田草牧,徳力富吉郎,永瀬義郎,平塚運一,福田豊四郎,森谷南人子,山下摩起などについても,それなりの研究はされてきた。しかしながら87名に及んだ作家たちの全容については,従来総合的全体的に研究調査されたことがなかった。それを可能な限り追跡調査し,諸資料を収集すると共に,問題点を考察してみようとしたのが本研究の目的であったが,現存作家や遺族に当るなどした10名余を残して調査を進めることができた。 その成果の一部をまとめてみたのが,報告書にみられる「関係作家生地・居住地・没地一覧」であるが,問題点の考察についてはそこ迄進みえなかったので,次の線にそってこれからの問題として考察したいと思っている。(1)国展解散後作家たちは概して苦難の道を進むことになったが,それによってどのようなことが言えるか。(2)作家達の多くは西洋に関心を持っていたようであったが,それは具体的にどのような姿をとるに至ったか。(3)また一方において伝統町な東洋はどのような影響を及ぼすことになったか。(4)一次的と言えるような作家と二次的な作家ができたが,その相違はどこにあり,その関係はどうなるのか。(5)大正・昭和前期の美術史における団体もしくはグループは,どのような意義をもつことになるのか。(5)1874年より1886年迄8回の展覧会を開いた例えばフランスの印象派と較べると,どこが異るのか。そしてこれらを含めて一人作品3点を含んだ総合的な一書を,近年中に上梓したいとも思っている。
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