この研究は、近世琉球の歴史を薩摩藩制や幕藩制との比較史的方法で解明することを目的とするものである。 研究経過を略述すると、先ず近世琉球王府機構の中枢をなす評定所機構を問題とした。しかし実際には初年次においてはそれの基礎的問題である地頭制と家譜の問題を研究し、2年次においては近世琉球の支配的身分である士族全体の独特の社会的結集の仕方の解明の方向に進んだ。 2年間の研究で次に述べるような成果を得たが、残された問題も多くまた在番制度や琉球と中国の関係の問題等も出て来ている。 1.近世琉球の士族社会を構成する仕組みの一つである地頭制は、薩摩藩の地頭制を導入したものである。しかし薩摩藩の地頭制が外城制と結びついて軍事制度・地方行政制度であるのに対して琉球の地頭制は古琉球時代の「さとぬし」の制度を再編成したものであり、士族社会の上級身分(地頭家部)を表わす制度である。したがって表面的には似ているが内容においては全く異なるものである。 2.琉球の家譜は士族の家統を記した独特の記録である。その記載の仕方は中国の族譜に習っていることは明らかである。しかし家譜作成の動機は、近世初頭の徳川幕府の系図作成と関連した薩摩藩の系図作成の動きに促されたところにある。家譜の作成によって琉球に士族と農民の身分が出来たが、これが近世的身分の形成である。 3.「琉球一件帳」と「琉球雑記」によれば、琉球の士族は王子家部、按司家部、総地頭家部、二方持脇地頭家部、一方持脇地頭家部の五つの家部の上級士と多くの下級士から成っていた。家部というのは本州武士の家のように家産制的構造は持っておらず、地頭や知行の単位となっている。したがって琉球士族社会は、本州武士のように土地支配を媒介に結集しているのではなく、王を中心とする官僚群であったのである。
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