本研究は、舞台構造、及び演劇の場の日中比較研究によって、1、両者の演劇の形成と信仰について、2、その受容層について、3、能、歌舞妓舞台における中国戯曲舞台の影響について考察を加えた。 具体的に、両者の舞台機構、構造について述せば、その大きな相違として、観劇する観客の位置、掛橋、花道の有無などが指摘し得る。中国の舞台は、ほとんどが「朝南座北」であり、一般の観客は、対面する本殿と舞台の間に立ち観劇を楽しむ。これは、芝居はあくまでも本殿にいいる神に見せるものであり、人々はその付随的な形で演劇を楽しむという、芝居の本来的意味が保ち続けられたからに他ならない。反して日本は、大きな社寺の舞殿においても、村芝居においても、よしんば「朝南座北」の舞台が見られても(室町の催能など)、本殿は実質的に貴人の「看所」と化し、本来の宗教的意味がないがしろにされた例が多い。時代が進み、或ものは舞台を仏堂そのものに作ったり、本殿、拜殿とは別方向にもかかわらず、広い空間を求めて舞台を構築したり、拜殿そのものを利用したがために、演者は本殿に背を向けて演じるようになったなど、宗教的色彩よりも、純粋娯楽としての意味あいが全面に押し出されて行った。また、日本独得の掛橋、花道の発達も、その演劇観の相違とともに、舞台の置かれた位置によって導かれたものではないかと考える。 他に、大舞台の地域的偏在は両国ともに認められるところであるが、中国においては、山西、安徽、河南、浙江、北京など、日本は大阪、東京を中心とした地域での、演劇受容における商業資本及び宮廷の関与形態について両者の相違が明らかになった。 最後に、文字資料ではその影響について論じることの不可能であった日中戯曲の影響関係について、本研究は、その舞台構造の分析によって影響があると認めるが、詳細はもう少し深い考察を必要とする。
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