ヨ-ロッパ糾問手続史研究については、近時そのカノン法上の起源・系譜をめぐって新しい論稿が発表された。これを踏まえ本研究は、筆者はこれまで長く携わってきた中世ドイツの刑事手続研究を、学識法からの影響という視点から追究することを目指した。十三世紀中葉以降ドイツの刑事手続において大きな役割を果たしたのは、「ラント(と都市)にとって有害な人間」にたいする訴訟であった。この訴訟は、当事者主義的外皮をまといつつも次第に糾問的形態をとっていったのを特色としていたが、その場合、一二三五年の平和令に始めてnocivus terraeとして出てくる、こうした「有害な人間」の概念についてはこれまで立ちいった研究がなかった。 そこで本稿ではnocivus terrae概念の中心をなすinfamia(「悪評」)という、このカノン法上の概念の用法を、十二世紀末から十三世紀初期の立法、なかんずく「カノン法集成」(一二三四)および「シチリア王国勅法集成」(一二三一)から探った。その結果、infamiaを蒙った人間は、例えば《生活や習慣のうえで(キリスト教)信徒共通の社交から離脱している者》という文言にあるように、非難されるべき常習的な生活を営む者と理解されていたこと、そして、こうした《不名誉という烙印を押された者(infames)》にたいしては、正規の告訴手続でなく、新しくinfamiaに基づく職権的手続がおこなわれうるものとされていたことがわかった。 「ラントにとって有害な人間」の核を形成し、そのものとしては古くに遡るinfamiaの概念は、十二世紀中葉以降当時の異端運動にたいしてロ-マ教会、なかんずく教皇インノケンティウス三世がキリスト教教義を宣布する中で発展させられた。十三世紀中葉以降ドイツの諸立法に引き継がれたその概念は、「キリスト的=教会的世界像」が色濃く投影されたものであったと同時に、社会的背景から汲みとられていた側面をも有していた。
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