本研究は、新しい法現象として注目を集めている非拘束的合意の理論的体系化を試みたものであった。作業は、法律行為としての条約が法律効果を生ずるものであるのに対し、そうした法律効果を生じないものの、その合意の事実的効果が国際法上承認されたものとしての非拘束的合意という新たな観念の成立の余地があるのではというみずからの仮説の立証をめざすものであった。従来、区別されてきた法律行為と事実行為との中間に、非拘束的合意の観念を位置づけようとする作業である。残念ながら、実質的に半年という短い研究期間において、作業はいまだ予備的段階にとどまっているといわざるをえない。ただし、次の点で議論の整理が可能になったようにも思われる。 この非拘束的合意の問題が、最近の国際法の中心的課題であるソフト・ロ-の議論と密接に関わっていることは周知の通りである。しかし、両者の間にはベクトルの方向の差というべきものがみられるように思われる。ソフト・ロ-として、法生成決議のような国連総会決議を観念した場合、ここではソフト・ロ-という観念が、完全な法的義務ではないとしても何らかの法的意味をもつものをカテゴライズするものとして用いられていることがわかる。いわば、生成過程の法を総称するものとして、ソフト・ロ-の観念が用いられている。ところが非拘束的合意は、拘束力を意図的に否定して初めて合意が達成される「ソフト化されたハ-ド・ロ-」ともいうべき合意である。この点は、1975年のヘルシンキ協定をみれば明らかである。その合意の内容は具体的かつ詳細であり、単に合意の当事者が形式的な法的拘束力を与えることを拒否したに過ぎないことがわかる。すなわち、非拘束的合意では、逆にその「非拘束」性や「非法」性を強調する立場から用いられていることがわかる。
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