研究概要 |
18世紀後半のイギリスの民衆運動は,三つの段階を経過した。第一段階は,1760年代の「ウイルクスと自由」運動であり,第二段階は70年代末から80年代にかけてのヨークシァ連合運動であり,第三段階はフランス革命期の改革運動である。 18世紀は暴動の多発した時代である。18世紀の異動には,多かれ少かれ,合法的慣習を破る者への抗議が含まれていたが,自然発生的であった。「ウイルクスと自由」運動も,自然発生的であり,暴動を伴ったけれども,言論抑圧に対する反発から始まった点で,また,初めて急進主義者の組織(権利章典支持者協会)が姿をあらわした点で,画期的であった。したがって,この運動は,民衆的基盤をもった急進主義運動の発端であり,民衆の政治意識形成の中間点(E.P.トムスン)なのである。しかし,運動は首都圏にとどまった。 ヨークシャ連合運動は,クリストファ・ワイヴィルという穏健派の急進主義者が中心となった点で,「連合」という組織的運動を展開した点で,またイングランドの半数以上の州に広がった点で,「ウイルクスと自由」運動とは異っていた。この段階の運動は,徹底的改革を求めるウエストシンスター委員会,漸進的改革を主張するヨークシャ委員会,改革を財政改革に限定しようとするロッキンガム派ウイッグの三つの流れに分かれるが,成功したのは,最後の慌れであった。 フランス革命がイギリスに大きなインパクトを与え,フランス革命論争が生じた。そのもとで,「人民の友の会」と「ロンドン通信協会」という二つの改革運動が発生した。前者は中産階級を,後者は貧しい職人や労働者を中心とした運動であった。後者では,政治改革が労働者の状熊の改善と結びつけて主張されたのである。それまでの改革運動にはなかった資本・賃労働関係の認識がこの段階で初めて現れるのである。
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