研究概要 |
わが国の理科教育では,読み物中心の理科教科書がしばしば実験観察を妨げるものとみなされてきた。それで,〈授業の進行を助ける機能〉をもつ教科書の作成がたびたび追求されてきたが,本研究は,つぎの3つの時期の教科書作成の試みとその背景にあった理科教育研究を明らかにすることができた。 (1)児童用書の使用が法令で禁止された時代(1904〜10年)に,各地で教科書に変わる出版物が自主編纂された。授業や実験・観察のまとめを印刷した「理科筆記代用書」と学習項目と図とだけを印刷して授業のまとめを児童に筆記させる「理科筆記帳」である。それらの自主編纂の背景には,当時,教育現場で理科教材の選択・配列研究ー「教授細目」作成研究ーが盛んであったことがあったことをつきとめた。 (2)国定の『尋常小学理科書』が1911年から使用され定着すると自主編纂の理科筆記帳類の出版は下火になるが,1920年頃から「理科学習帳」ー授業で課す課題と図のみを印刷したものーが盛んに編纂されるようになる。それは,1919年から,5,6学年にだけ課せられていた理科が4学年から課せられるようになって,理科教材を4〜6学年に配当し直す研究がさかんになったことと密接なつながりがあることがわかった。 (3)文部省が編集した国定の『初等科理科』1941,42は,作業中心に理科教材を組織し,学習課題や実験観察課題をスモールステップで与える教科書であった。その教科書編集では,各地で作成された「理科学習帳」などが参考にされたが、その中でも朝鮮総督府が編纂した『初等理科書』1931,32,『初等理科』1937,38が決定的な影響を与えたことを、その編集経過,および,両者の編集形成・教材の選択配列の方法,両者に共通な教材の3点にわたって明らかにすることができた。
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