研究概要 |
都市家族は農村的生活様式とは異なった生活様式の中で、生計基盤や生計手段はその都市の産業構造の変動をもろに受けつつライフサイクルの過程で社会的弱者である子供や高齢者を構成員としている。従って特に零細な商工業者や雇用労働者の家族にとって経済的な問題は直ちに家族の生計・世話・介護を困難にしてしまう状況が生じるが,これに対して地域社会や行政がどのように対応し家族をサポ-トしてきたかを明らかにするために,全国的にも珍らしい事例として知られている石川県金沢市の「善隣館」を戦前・戦後を通して調査研究をおこなった。特に戦前において民間の先駆性と柔軟性を基礎に校下コミュニティという地緑集団と行政との連携の仕方に善隣館活動の特微が伺えることが,福岡市倉敷市および東京都との比較調査の中で明らかにされた。また,戦前・戦後をとおして存続しえた基盤に重層的な地緑構造と機能のあることも示唆され今後この点をさらに深く分析していきたいと思う。 戦後の善隣館活動は社会教育法による公民館との活動の分離により、大きな危機に直面しつつも地域福祉の徒歩圏内におけるひとつの拠点として、存続しつづけてきたといえよう。ヒアリング,資料合析,福祉行政の変化についての分析の結果,善隣館は地域住民の個別的、緊急的な諸問題に対応していることが明らかになった。すなわち行政やビジネスの領域では一定の量を必要とし顕在化することが必要であるが、地域住民とくに問題に直面している家族にとっては個別的でありすぐに対応してほしいニ-ズがある。このニ-ズと行政需要の狭間において社会の変動の中で対応してほしい諸問題を小回りのきく形でとりあげサポ-トをしてきた点にいわゆる金沢方式の善隣館活動の特徴があるということが指摘できよう。この点は従来いわれていた地元篤志家層による福祉活動という枠ではとらえられない点である。
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