研究概要 |
(1)「リーンハルト」で画いた地域社会学校的な学校観は、「ゲルトルート」以後、まったく見られなくなる。 (2)これと関連して、地域のリーダー的教師像も消えている。 (3)「ゲルトルート」においてみられた学校よりも家庭,学校の教師よりも父母,とくに母親という考え方が、晩年には、学校の存在を肯定したうえで、その問題点を指摘し、その反省の上に立って家庭教育の充実を求めるという堅実な立場に推移する。 この傾向は、「グリーヴス宛の手紙」において確認できる。 (4)家庭教育への楽天的な期待が失われているのは「純真な人々へ」においてみられる文明社会批判のなかで確認できる。そこでは動物的利己心にしたがって行動しながら、表面だけは繕う世俗的、功利的な父母への批判がきびしい。 (5)このような家庭の現状への注目が初期の楽天的な家庭教育観を訂正する原因になったと考えてよい。これは学園の経営者として、多くの上流家庭の父母と接する械会をもったことが影響したとみてよい。 (6)現実の家庭は信頼できないとなると、将来の家庭の父母を教育力のある父母にまで教育する必要を認めざるをえなくなる。 (7)将来の良き父母への教育は、そのために整えられた学校でおこなわなくてはならない。そこに教師養成学校の構想が生まれる。 (8)ただし、この計画は、いわゆる学校の教師を計画的に養成するというような性格のものではなかったということも、注意しておく必要がある。ペスタロッチを師範学校思想の先駆とみるのは誤まりである。
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