研究課題/領域番号 |
02F00005
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 外国 |
研究分野 |
美術史
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研究機関 | 国際日本文化研究センター |
研究代表者 |
稲賀 繁美 国際日本文化研究センター, 研究部, 助教授
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研究分担者 |
YEE Milim 国際日本文化研究センター, 研究部, 外国人特別研究員
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研究期間 (年度) |
2002 – 2003
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研究課題ステータス |
完了 (2003年度)
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配分額 *注記 |
1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
2003年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2002年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
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キーワード | 美人風俗画 / 美人画 / 風俗画 / 韓国絵画史 / 申潤福 / 青丘畫史 / 〓園傳神帖 / 石農畫帖 |
研究概要 |
江戸徳川期の日本では、美人画あるいは人物風俗画は桃山以後、屏風絵、巻物、掛け軸さらには浮世絵版画で広く発展し、それに関する研究は厚い蓄積がある。それにたいして韓国では、近年まで、絵画史研究において、美人風俗画に着目されることは、なお少ない。とはいえ当時韓国では、すでに浮世絵が知られていた。はたしてそれが韓国の画家たちに影響を与えたか否かを確かめることも本研究の発端をなす問題意識のひとつである。 本年度は、十八世紀の日韓の美人画比較に重点を於いて研究を試みた。とりわけ、日本では円山四条派、韓国では申潤福(1756-?)というほぼ同時代の画家に焦点をあて、申潤福における「伝神写昭」の概念と、円山応挙(1733-95)における「写生」の概念との比較、両者に共通する写生画稿の比較検討などを行った。いずれも、これまでの装飾的で平明的な描写にかわり、モデルの個性を捕らえ、身体の厚みの見られる人物表現が実現されており、ある種の同時代性が認められる。 社会的に見れば、韓国近世画壇における申潤福の身分は中人であり、両班階級ではないが、宮廷の図画署に属した画家であったが、応挙は職人を振り出した門主・祐常に庇護を受けた町絵師である。また応挙と同様に、申潤福も欧風の描写技法を学んでいたのではないか、とも推定されている。 このように、ふたりの画家の対比は、両者の属した社会の実像を浮かび上がらせる。しかしまた同時に、申潤福が韓国近世絵画史上ではほぼ唯一の美人風俗画家と見なされるのにたいし、日本では美人画のジャンルははるかに多岐な発展を遂げており、そこには双方の社会に横たわる、大きな差異も見逃せない。 今後は、日韓両国の美人風俗画に見られる異文化受容に関わる諸現象と、それに関する言説を点検・整理しながら、時代やジャンルにおける違いと共通性を明らかにし、全体の見取り図を描くことを考えている。さらに、異文化受容の特異点ともいえる事象を加えて研究を進めて行く。
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