研究課題/領域番号 |
02J04359
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
頴原 善徳 大阪大学, 大学院・法学研究科, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2002 – 2004
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研究課題ステータス |
完了 (2004年度)
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配分額 *注記 |
3,600千円 (直接経費: 3,600千円)
2004年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
2003年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
2002年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 最高法規 / 日本国憲法 / 大日本帝国憲法 / 議院内閣制 / 政党政治 / 代表制 / 国民主権 / 美濃部達吉 / 憲法 / 国際法と国内法 / 戦時国際法 / 日露戦争 / 海戦法規 / 万国平和会議 / ロンドン宣言 / 立作太郎 / 国際連盟 / 横田喜三郎 / 神川彦松 / 大東亜国際法 |
研究概要 |
本年度は、近代日本の国家構造を明らかにするために、日本における立憲制度の歴史を概観する研究をおこなった。 戦後の日本で憲法に対するシニシズムがついてまわってきた最大の原因は、日本国憲法が国際法との関係で、その最高法規性が問題となったことである。戦後の憲法論議が第九条に集中してきたことは、そのもっとも顕著なあらわれである。日米安全保障条約と日本国憲法第九条とが矛盾するとすれば、いずれが尊重されるべきなのか、といった問題が長く問題とされてきた。国際政治の常識や国際協調主義を持ち出す主張に対して、護憲派は日本国憲法の普遍性と先駆性を理由にして、これに抗した。このようなことが問題になること自体、戦後の日本では、憲法と日米安保条約の二つの最高法規があった、あるいは日本国憲法の最高法規性に対する疑念を払拭することができなかったことを示している。 戦後の憲法論議に欠けている視点は、戦前と戦後を通じた憲法上の課題は何かを考えることである。その最も大きな課題は、議院内閣制をめぐる問題であった。帝国憲法では内閣に関する規定は存在していなかった。議院内閣制を説いた美濃部憲法学がしばしば解釈改憲と呼ばれるのは、そのためである。戦後の日本において国民主権と矛盾するはずの官僚主導がしばしば問題になってきたのは、実は日本国憲法に規定されている国民主権が官僚主導との親和性を有しているためであり、日本において国民の代表を選出するという発想が、強くなかったためである。事実、戦前の日本では、国民の要望や選好を吸収したうえで公論を編成するという作業をおこなうシステムを日本の政党は、つくられなかった。また、大日本帝国憲法発布前より、政党政治を主張する者も、それに反対する者も、政党に有能な人材がいないことを前提としていたのである。
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