研究課題/領域番号 |
03041076
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 大東文化大学 |
研究代表者 |
原 隆一 (1993) 大東文化大学, 国際関係学部, 教授 (70198901)
大野 盛雄 大東文化大学, 国際関係学部, 教授 (90012963)
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研究分担者 |
長場 紘 アジア経済研究所, 国際交流室, 次長
津野 幸人 鳥取大学, 農学部, 教授 (00036287)
大野 盛雄 財団法人中近東文化センター, 理事 (90012963)
新納 豊 大東文化大学, 国際関係学部, 助教授 (10189235)
長場 絋 アジア経済研究所, 国際交流室, 次長
原 隆一 大東文化化学, 国際関係学部, 教授 (70198901)
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研究期間 (年度) |
1991 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
13,500千円 (直接経費: 13,500千円)
1993年度: 4,500千円 (直接経費: 4,500千円)
1992年度: 4,500千円 (直接経費: 4,500千円)
1991年度: 4,500千円 (直接経費: 4,500千円)
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キーワード | 米の道 / 米作社会 / 水稲 / 農民 / 米の料理 / 西アジア / 中央アジア / アフリカ / トルコ / 地中海 / ナイル・デルタ / 西アフリカ / 灌漑 |
研究概要 |
私たち日本人は、世界における米の主産地はモンスーン気候の下での東アジア・東南アジアであり、そのなかでも特に日本は世界で最も美味な米を最高の技術で作ってきたと思い込んできた。しかし米に関する視野を広げ、米についての価値観を変えるならば、米は元来モンスーン地域に特定されるものではなく、その味も食べ方も多様であり、今や地球をとり巻く世界的な食物として作られ、食べられるようになっていることに改めて気づくだろう。こうした現実を踏まえ、私たちは、米に関する広い視野と新しい価値観を求めることを目的として、まずモンスーン気候ときわめて対照的な西アジア乾燥地域を手始めに、それに接して西方に延びる地中海地域ならびに西アフリカの水田稲作の実態と米の食文化を明らかにするための現地踏査を試みた。 第1年次は、トルコのヨーロッパ側のメリチ川流域、中央アナトリアのクズルウルマク川流域、ならびにイタリアのポ-川流域、スペイン東北部のエブロ川流域、そしてチュニジア北部における稲作水田を踏査し、米の作り方、食べ方についての実態を調査した。第2年次は、改めてトルコ各地、エジプト・ポルトガル、そしてさらに西アフリカのガーナ・コートジボアール・シェラレオネの米作地帯の踏査を行なった。その結果、トルコから西に連なる地中海沿岸そして西アフリカに及ぶ幅広く連なる帯状の「米の道」の存在が浮かび上がってきた。 そもそも栽培稲は最も古く中国から始まり、インドから「南路」を経て西方に伝来したとみなされる説が一般に定着しているが、この道が私たちの言うトルコからアフリカに通じる「米の道」といかにつながるかが問題であり、その中継点の検証が必要になってくる。第3年次は、パミール高原から西に向かい中央アジアを経てコーカサスからトルコの黒海沿岸の水田稲作地帯につながる「北路」を想定し、カザキスタン・キルギスタン・ウズベキスタン(タジキスタン・アフガニスタン・アゼルバイジャンはきわめて重要な地点であるが、政治情勢のため踏査不可能)に足を踏み入れた。 世界の屋根パミール高原に源を発し北に向かって流れるスィルダリヤ-・アムダリヤ-の2大河の流域では水田稲作が行われ、特にスィルダリヤ-の上流域でかつて東西交渉史に登場するウズベキスタンの東部フェルガナ(大宛)盆地では、渓流を利用した潅漑による短粒種(ジャポニカ)の栽培が行われてきた。この地方では稲・籾のことをシャーリ-(語源的にはインド語と思われる。イランにおけるペルシア語も同じ)と呼ぶ。フェルガナ盆地の上流、キルギスタンのウズゲンの赤米ウズゲン米は各地で珍重され、他の品種の2倍ほどの値段で売られる。ウズゲン米の料理プロフはイランのポロウ、トルコのピラウそしてスペインのパエリャに通じるものを予想させる。 米を特定の自然環境や特定の文化の所産として閉鎖的に取り上げるのではなく、広い視野の下に考察することを意図した私たちの現地研究を進めているあいだに、日本人は米の自由化問題、米の緊急輸入などをめぐる厳しい現実を迎え、「米の未来」にいかに対応すべきか、厳しい問いを迫られることになった。そしてアメリカ、オーストラリア、タイ、中国の米を食べざるをえないという体験を通して初めて、米に関するこれまでの閉鎖的思考から解放される可能性が与えられた。しかし私たち日本人はさらに世界各地の「米を作り、米を食べる」地域の現実を明らかにする必要がある。第1年次から3年間にわたった「米の道」の現地踏査で不十分であった成果をさらに掘り下げることが期待されるものである。
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