研究課題/領域番号 |
03041079
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
吉村 作治 早稲田大学, 人間科学部, 助教授 (80201052)
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研究分担者 |
登内 正治 川崎地質株式会社, 開発部, 部長
西本 真一 早稲田大学, 理工学部, 講師 (10198517)
高橋 龍三郎 近畿大学, 文芸学部, 講師 (80163301)
谷本 親伯 京都大学, 工学部, 助教授 (10109027)
森 啓 東北大学, 理学部, 教授 (00004466)
中川 武 早稲田大学, 理工学部, 教授 (30063770)
菊池 徹夫 早稲田大学, 文学部, 教授 (00147943)
櫻井 清彦 (桜井 清彦) 昭和女子大学, 大学院・生活機構研究科, 教授 (60063195)
NISHMOTO Shinichi Lecturer, Waseda University
近藤 二郎 共立女子大学, 文芸学部, 非常勤講師
張替 いづみ 早稲田大学, 文学部, 助手 (70221512)
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研究期間 (年度) |
1991 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
38,000千円 (直接経費: 38,000千円)
1993年度: 13,000千円 (直接経費: 13,000千円)
1992年度: 13,000千円 (直接経費: 13,000千円)
1991年度: 12,000千円 (直接経費: 12,000千円)
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キーワード | エジプト / アブ・シール南 / 北サッカラ / ネクロポリス / 新王国時代 / カエムワセト王子 / ラメセス2世 / 柱廊 / アブシール / サッカラ / ピラミッド / カエムワセト / ローマ時代 / 石造建造物 / アブシ-ル / ロ-マ時代 |
研究概要 |
1993年8月中旬より10月上旬にかけて、アブシールのピラミッド群の南方約1.5Kmに位置する丘陵頂部において発掘調査を行ない、同年12月中旬から1994年1月下旬にかけて出土遺物の整理作業を実施した。 本課題研究の初年度(平成3年度)調査では、第19王朝ラムセス2世の第4王子カエムワセトに所属する建造物と推測される石造建造物の床面と壁が検出され、次年度(平成4年度)調査では石造建造物の平面プランの大要を確認する成果を得た。出土した遺構は、列柱室から奥室に至る構造を有し、長軸は20mを越える規模を測る。同プランは、サッカラ地域における新王国時代墳墓、私人のチャペル等に比較し得るが、性格決定自体は今後の課題として残された。そこで本年度調査では、丘陵頂部に残る遺構の「全体像」からこれを解明するべく、調査区域が「奥室」と想定されていた西側地区に設定された。 調査の結果、この西側地区からはこれまでのプランで確認されていたような大規模な石造建造物は確認されなかったが、遺構全体の建造の在り方に関しては貴重な検討材料を得た。 まず古生物調査によって、同丘陵部の堆積層直下約3mの位置には、ウニ・カキ等の微化石を含む石灰岩盤層があり、これはギザ台地より続くフォーメーションを構成しているものであることが判明した。また遺跡分布調査により、丘陵部東端を中心とし、中期旧石器時代の石核石器、剥片等が散布していることも新たに確認された。石灰岩盤直上には、大型礫より構成される層が1mほど堆積しており、石器以外の加工品はみられていないことから、同層が石造建造物構築時における自然地形を構成していると判断された。 発掘調査の結果、調査区の西南隅は地山礫層の標高が最も高くなっている地点であり、それぞれ東側、北側に向うにつれて地山面は降下していることが再確認された。丘陵頂部の建造物はこのような自然地形を利用しながら建造され、ナイルの沃土層及び赤褐色の粗砂層等が人工的構築層として用いられ、建造物のペイブメント、壁面の裏込め等に利用されていると推測された。 今期調査区では、これらの人工堆積層が遺構の東西軸と南北軸に平行に、幅2m程の砂層堆積層を間に残し垂直に立ち上った遺構部分が検出され、これが石製建造物をめぐるように配されていることから、遺構の全体的平面計画に関わる遺構として注目された。既に列柱室の背面部分で確認されているように、壁面の構築技法として地山礫層を削り込んで基礎壁体を積み上げていく技法が確認されているが、同遺構部分にも同様な技法によって建造物全体をめぐる壁体が存在していた可能性がある。また今期調査では、これら石造建造物に用いられている石材自体には、再利用石材が用いられている例が多数検出された。これら再利用石材と考えられる石材は、ピラミッド外壁に一般的にみられる風化面と傾斜角を有していることが注目される。 遺構の全体像を解明していくためには、現在未発掘の列柱室前面部、遺構長軸の北側地区、奥室のさらに背面部の在り方等が問題となる。特に今期調査地区外域の北西部分に大規模な日乾煉瓦壁が残存しおり、同地区の発掘調査が丘陵頂部遺構の性格、規模、建造年代等を決定していくための急務となろう。石造建造物の建造時期に関しては、既に出土したレリーフの技法、様式また建造地業層より出土した彩文土器片等からカエムワセトと同時代の第19王朝時代と考えられているが、今期はこれに先立つ第18王朝の王の名を有するステラ(奉納碑)が出土した。これによって、第18王朝時代において丘陵頂部に何らかの遺構が存在したか、また新王国時代末期におけるメンフィスとテ-ベの問題、さらには石工を中心としたいわゆる「メンフィス工房」の職人集団の在り方等、今後重要な議論に発展していくと考えられる。 その他の土器、ファイアンス製品、ガラス製品等の遺物においては、遺構建造時における人工的構築層と攪乱の砂層に含まれる遺物という大枠の中での比較から、これまで推測されていた遺構の建造から破壊に至る年代的位置付けが再検討されていくことが期待される。
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