研究概要 |
原子物理,固体物理等の分野においては,反陽子,負のミュオンなど負電荷を持った“重い"荷電粒子は荷電非対称性の研究を遂行するのに極めて重要なプローブとなる。さらに,原子核の引力ポテンシャルに捕らえられるときには,“重い"電子として非常に興味深い研究対象となる。CERNのLEAR(Low E-nergyAntiproton Ring)から供給される低エネルギーの反陽子ビーム(〜5.9MeV/u)は,エネルギー幅や角度幅が小さく,また,強度も強い(〜10^6個/秒)ので,現在手に入れることのできる重い負の荷電粒子ビームとしては理想的である。 本研究は,「低速反陽子と薄膜の衝突における放出2次電子の研究(課題番号01044033:1989年〜1990年)」として採択された研究の延長線上にある。一連の研究計画で,まず手始めに研究対象としたものは,「波乗り電子の測定」である。波乗り電子は,荷電粒子が誘電媒質内につくる振動型の有効ポテンシャル(wake potential)の引力部分に電子が捕護されるもので,固体内に動的に形成される電子状態という意味でも非常に興味深い研究対象である。この目的を達成するため,反陽子と炭素薄膜の衝突で前方に放出される2次電子のエネルギースペクトルを測定した。実験に必要な反陽子のエネルギーは数百keVであって,実験当時得られた最低エネルギー5.9MeVのさらに約十分の一になる。このような極低エネルギーは,アルミニュームの薄膜をビームライン中に挿入し,反陽子を減速する事による達成された。但し,この様にして得られるビームはもはやエネルギー的に単色ではないため,電子が分光器に検出されるたびにそれに対応する反陽子のエネルギーをTOFで測定するという煩雑な測定法によりエネルギースペクトルを得た。一連の実験により,(1)υ_e〜υ_p付近の2次電子スペクトルは,簡単な考察から予想されるような深い谷を示さず,非常に浅いアンチカスプ(anticusp)を伴ったなだらかな分布になる,(2)υ_e〜υ_pから約50eV低いエネルギー位置に小さな肩が観測され,その大きさ,エネルギーは,波乗り電子に関するモンテカルロ計算と半定量的に一致する,ことなどが分かった。ここで,υ_e,及び,υ_pは,それぞれ電子と反陽子の速さを表す。 以上の様に,アンチカスプが消失する理由は生成された2次電子の標的内におけるインコヒーレントな多重散乱課程にあると予想された。これを確認するため,系がコヒーレントな場合の簡単な例として,数百eVの電子とHe原子の散乱において前方に放出される電離電子の強度を入射電子が前方に散乱された場合について測定した。実験は電子の入射エネルギー400eVから1000eVについて行われた。放出電子のスペクトルは何れの場合も明確なアンチカスプ状を示し,さらに,相対強度,形状ともにクーロン相互作用する3体系の境界条件を正しく取り入れた理論計算と一致することが分かった。 最近,RFQ方式による加速器が開発され,多くの加速器施設で入射器として利用されている。LEARでは,RFQ加速器を反陽子の減速に利用し,5.9MeVの反陽子ビームをさらに200keV付近の超低速単色ビームとして供給できるビームラインが使えるようになった。原子物理学における荷電非対称性が〜MeV/u以下程度で顕著になること,通常の単色ビームを用いた衝突実験との比較が容易になること等を考慮すると,このビームラインは反陽子を用いる原子物理実験に新しい地平を開くものと期待される。我々は現在,この単色ビームを用いて,(1)波乗り電子の再確認実験,(2)反陽子のチャネリング,(3)電離過程の衝突径数依存性,(4)多重散乱,エネルギーストラグリング, (5)気体の電離断面積,(6)反水素生成等,原子物理関係の実験をオーフス大(デンマーク),ロンドン大(イギリス),フランクフルト大(ドイツ)等の共同研究者と計画している。
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