研究概要 |
伸張受容チャネル(Stretch Activated Channel:SAチャネル)は細胞膜に与えられた機械刺激(一般に膜の伸展を惹起する)により活性化されるイオンチャネルで,1984年にF.Sachs博士らによって発見された新しい型のチャネルである。これはバクテリアからヒトに至る広範な細胞に分布し,細胞の容積や形の調節,増殖や成長の制御,あるいは血圧調節や治癒反応,さらには癌化にも関連することが示唆されている興味深い分子である。その生理機能やチャネル活性化機構の解明は重要かつ緊急の課題である。 本計画の目的は,SAチャネルの発見者である米国のF.Sachs博士と申請者が共同して,1.SAチャネル活性化機構の解析法の確立とその応用と,2.SAチャネル分子の同定への基礎固めをすることである。2年間の研究期間を通して,ほぼ当初の目標を達成することができた。初年度は1に重点を置き,申請者が約1ケ月間米国に滞在して,実験データを蓄積し,逆にF.Sachs博士の研究協力者が約3週間滞日して解析プログラムの開発に従事した。その結果,以下のような成果が得られた。(1)電極内圧をステップ状に変化された時のパッチ膜面積の過渡応答を解析する理論とプログラムを開発することにより,パッチ膜の弾性と粘性を評価することが可能となった。(2)サイトカラシン処理,あるいはエクサイズドしたパッチ膜を用いることにより,細胞骨格系や細膜質の膜粘弾性への寄与が評価が可能となった。(3)1と2の手法を心筋と骨格筋に応用して比較することにより,膜機械特性への細胞骨格系の寄与に臓器差があることが明らかになった。次年度も引き続き,膜機械特性と張力発生機構の解析を続けたが,その過程で非常に重要な結果を得ることができた。即ち,上記1.の理論に基づいて実験データを注意深く解析することにより,(4)多くの場合パッチクランプした膜にはかなりの静止張力(約5dyn/cm)が発生している可能性が予測されたことである。これにより,現在最も深刻な問題である細胞全体の応答とパッチ膜の応答の間の矛盾(パッチ膜では容易にSAチャネル電流が観測されるが,細胞全体のSA電流は観測しにくい)を解決できる方向が見いだされた。さらに,(5)シリコン膜上での細胞培養とカルシウム顕微鏡の組み合わせによって,培養細胞に定量的伸展刺激を与えながら細胞レベルでのSAチャネル活動を定量的に評価する手法を開発した。(6)5の手法で得られデータから細胞膜に発生する張力を計算するモデルを構築しSAチャネルを活性化するのに必要な張力をパッチ膜のそれと比較したところ,前述の静止張力を考慮すれば,両者はほぼ一致することが判明した。こうして初めて,ミクロなパッチ膜で観測された単一SAチャネルがマクロな伸展応答に寄与するという実験的証拠を提出することができた。この点が本研究の最も重要な成果の一つである。一方,SAチャネルの分子実体をを求める足がかりを得る試みも平行して進められた。その結果,SaChsらのグループは最近,(7)ある種の蜘蛛毒がアフリカツメガエル未受精卵のSAチャネルを強くブロックすることを見いだした。現在その特異性を評価するとともに精製を試みている。また申請者らは,(8)ある種のアミノグリコシドが低濃度でSAチャネルをブロックすること,ある種の両親媒性薬物が逆にSAチャネルを活性化することを見いだし,現在それらの作用機序を解析している。 以上のように,SAチャネル活性化機構の生物物理学的研究はむしろ当初の目標を上回る進展が得られ,今後この手法をさらに多くの系に応用してより確固たるものに仕上げていきたいと考えている。分子生物学的研究は必ずしも思うようには進まなかったが,研究の後半においていくつかの有望な毒や薬物を見いだすことができ,今後を楽しみにしている。したがってSachs博士とはこれからも何らかの形で,共同研究を継続してSAチャネルの分子実体の解明にむけて努力していきたい。
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