研究課題/領域番号 |
03045043
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 大学協力 |
研究機関 | 鹿児島大学 |
研究代表者 |
重見 之雄 (1992-1993) 鹿児島大学, 水産学部, 教授 (40043509)
片岡 千賀之 (1991) 鹿児島大学, 水産学部, 助教授 (00112433)
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研究分担者 |
MURUTADI Sar ボゴール農科大学, 水産学部, 助教授
山尾 政博 鹿児島大学, 水産学部, 助教授 (70201829)
SARIB Murtad ボゴール農科大学, 水産学部, 助教授
岩切 成郎 鹿児島大学, 名誉教授 (70041689)
ISMUDI Muchs ボゴール農科大学, 水産学部, 教授
SARIB Mortad ボゴール農科大学, 水産学部, 助教授
重見 之雄 鹿児島大学, 水産学部, 教授 (40043509)
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研究期間 (年度) |
1991 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
5,600千円 (直接経費: 5,600千円)
1993年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1992年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1991年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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キーワード | 漁船の動力化 / 沿岸漁業 / 漁民層の分解 / 商業的漁業 / 水産物流通 / アンボン周辺 / セラム島 / 伝統的漁場利用 / 北スラウェシ / 船外機 / 漁港の整備 / 加工設備 / 沿海資源の利用管理 / 漁業の近代化 / 社会的移動 |
研究概要 |
インドネシアの漁業が急速に発展したのは1980年代である。とくに発展の著しいのは漁船の動力化であるが、インドネシアの場合にそれはおもに船外機の普及によるものである。この時期に動力船は約2.2倍の11万隻に、漁獲量は約1.5倍の217万トンから1990年代に入って一層増大し、362万トンまでに及んだ。漁業種類別にみると、地曵網、まき網、敷網などの中規模漁業や、釣りや刺網などの小規模漁業が中心で、依然として沿岸漁業が全漁獲量の約90%を占める。しかしわが国の沿岸漁村にみられるような漁業権は設定されていない。漁獲高が著しく増大したのはこのような漁船の動力化による以外に、輸出の増大や国内の動物性蛋白質の供給源としての需要が増大したことにもよる。 辺地漁村としてここでは北スラウェシのメナド周辺でケマティガとモロンパーの2つの漁村を調査の対象にした。ケマティガは州都メナドからやく30km東に位置し、約500世帯でそのうちの約80%が漁業をおもな生業としている。総労働力人口は980人でそのうち85.5%にあたる838人が漁業で働き、4.6%にあたる45人が仲買人であるから、実に90%が漁業で生計を立てている純漁村である。おもな漁はまき網、地曳網、敷網、船曳網、刺網、釣りなどであるが、これらのうち刺網や釣りには依然として無動力船によるものが多い。まき網はギヨップと呼ばれる伝統的なものと、パジェコという近代的なものに分けられる。近代化、動力化とともに漁民層の分解も進み、漁業経営者と単なる乗組員すなわち賃金労働者に分かれつつある。モロンパー村はメナドから南東約120kmにあり、334世帯から成り、そのうち78%にあたる260が漁業世帯である。ここでは釣りが142統と最も多く、船曳網、地曳網、刺網、敷網、まき網は統数のうえではそれぞれ10統内外に過ぎないが、種類の漁業が行われ、ここでも階層分化が急速に進み、網漁業はやはり雇用労働に依存している。わが国の漁業センサスのような画一的な悉皆調査が行われていないので統計的には極めて不備なので調査対象とした漁村を同じ尺度で表現することができない。どちらの漁村にも商業的漁業の発展が急速で、伝統的な漁業からより収益性の高い近代的への漁民の移動も激しく行われている。メナド周辺では海に面していても海に背をむけた農業集落が多く、むしろこれらのような純漁村は少ない。これらの農業集落は椰子のプランテーションや香料の栽培で経済的に裕福である。水産物流通はおもに漁村に住む仲買人によって担われメナドの魚市場へ運ばれるが、それ以外の漁家の婦人の行商によって周辺の裕福な農家へ販売される。 メナドから東南へ約700km、アンボン周辺部の漁村には、サシと称する古くからの伝統的漁場利用に関する共同体規制が残っている。これは禁漁に関する取決めであるが、農・林産資源の利用にも適用されている。セラム島北西部のコタニア漁村ではナマコ養殖に関するサシが行われている。この村は近隣の島から35戸が20年前に移住してできた新しい村であるが母村のサシをそのまま引き継いでいる。かつてはサシの期間(禁漁期間)は5年であった。この期間が明ける時期には宗教的なセレモニ-が行われ村人総出でナマコ漁に従事した。解禁期間は1か月程度、参加漁民は村落に対する経済的負担を求められる。しかし最近この制度も急速に変化しつつある。禁漁期間も2年に短縮され、また村への負担割合が著しく増大し、漁獲量の10%になっている。こうした変化は最近ナマコに対する市場での需要が増大し、また漁民の現金収入に対する欲望が強くなったものと考えられる。最近インドネシア政府はこうした伝統的な漁場利用制度を基に、漁業管理制度や漁民組織の育成を図ろうとしている。しかし漁村について共通していえることは、漁港などのインフラ整備が極めて立ち遅れていることである。すなわちメナド周辺の漁村では漁船は砂浜に押し上げられ、コタニアではマングローブの浅瀬に放置されている。陸揚げされた漁獲物の冷凍加工設備もなく、その都度不安定な価格で出荷しなければならない。また村単位での行政もほとんど中央の水産局に依存している。
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