欧米の環境倫理学思想を、文化的・社会的文脈に相対化するための視点を定めるために、そこに孕む概念的問題をさぐった。人間中心主義的な立場であれ、人間非中心主義的な立場であれ、現在の環境倫理学では、自然そのものに何らかの価値(審美的価値とか、ウィルダネスの価値)を付与しているということでは共通しているが、この種の概念の普遍性については問題で、審美的価値については近代化の流れの中で発生した歴史的なものとして捉えられ、ウィルダネスはもともとネガティプイメ-ジを負ったものが19世紀の産業化、都市化の中で非常にポジィティブなものとして生まれ変わった、時代文脈的なものであると結論付けられた。 欧米の環境倫理を踏まえて、非西洋文化圏にも適用可能な環境倫理を構築するためには、「自然の価値」を人間と自然との関係性の中に捉え直す視点が必要であり、公害論(加害者‐被害者論や被害の社会構造や認識の考察)を軸にして考察を行った。それらの理論を、認識の全体性の問題という、より普遍的に、環境倫理の問題に繋がるものとして把握することが目論見、そのキ-概念は、「関わりの全体性」である。伝統社会では、自然から人間への影響や人間の生活の糧を得るための自然への働きかけは総体として存在しているが、近代社会においては、この種の自然との関わりは、さまざまな道具やメディアを介して、より部分化している。この分析のために、自然から人間への働きかけのベクトルが強い人間と自然との関係としての「生活」と、人間の自然への働きかけのベクトルが強い自然と人間の関係である「生業」の二つの概念を導入した。欧米の環境倫理学の自然の価値は、生活においても生業においても部分化した関係の中から、それゆえ超越した観念として導き出しており、その観念を相対化し、関わりの全体性の方向で再構築することが必要であり、これは今後の課題である。
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